2024年10月8日火曜日

桐生市まちなか 歴史的建造物ウォーク

 お隣の町、足利の町見物が早く終わったので、同じく歴史の街?である桐生もついでに見物していくことにします。

とはいえ、自分も含めて神奈川県民の多くは桐生と聞いて競艇以外にピンとくるものがありません。
いったいどのようなところなのでしょうか。
※桐生駅周辺の市街地にある建築物を中心に見物します。青字で記載した建物名称に特に注釈がないものは全て国指定の有形文化財です。

ここに来る前に居た足利のまちなかウォークはこちら

栃木県の足利からJR両毛線に乗り、3駅16分で到着した隣町は群馬県です。

JR駅の北口を出て正面に200mほど歩くと、上毛電鉄の終点、西桐生駅があります。
上毛電気鉄道西桐生駅駅舎・プラットホーム上屋
昭和3(1928年)

駅の先の西幼稚園前の信号を左折し、水道山公園の標識に従って坂を登って行くと、宅地の道端に意味ありげな古い建造物。
桐生市水道局低区量水室
昭和7(1932)年

立入禁止の広場の前からは一層傾斜が急になる坂道を登って行くと、
桐生市水道局高区量水室
昭和7(1932)年

坂の上は公園の駐車場となっており、水道記念館と、中が草ぼうぼうのフェンスがありました。
水道山記念館(旧配水事務所)
昭和7(1932)年

桐生市水道局高区配水池
昭和7(1932)年
桐生はとりわけ古くから水道が敷かれたわけでもないのに、この水道山周辺以外にも渡良瀬川沿いの元宿も含めて多くの水道物件が文化財に指定されています。

坂を下って引き返し、幼稚園の交差点をまっすぐ行った先が新川橋通りと出会った交差点にも、現役を退いた水道関係の建物がありました。
右:桐生市立西公民館本館(旧水道事務所)
左の土蔵:桐生市立西公民館機械室(旧水道倉庫)
昭和7(1932)年

公民館の並び、ドンキの向かいにあるのは織物会館。
桐生織物会館旧館(桐生織物記念館)
昭和9(1934)年

一本東側の通りにもいくつか古い建物が残っていました。
旧松岡商店事務所
昭和10(1935)年

左の白い建物:旧松岡商店蔵
右の木造建築:寺内家住宅主屋
昭和10(1935)年

さらに東側にある本町通りへと向かうべく、東西を結ぶ車道がとても少ない街中のゲリラ道を行きます。

県道66号線の本町通りは、旧市街地の中心となる通りで、主要な文化財が建つ新町と呼ばれれる地域はまだ1kmほど北にあるので、もう少し周辺を徘徊してみることにします。
金善ビル
大正末期

本町5丁目交差点から広見通りを西へ2ブロック(100m)ほど行くと桐生倶楽部があります。
桐生倶楽部会館
大正8(1919)年

さらに2ブロック進み、東小学校前の交差点を左折して中通りを2ブロック行き、泉町通りを右折すると、文化財に指定された10棟のうちのいくつかで機織が体験できる施設がありました。
森秀織物工場(織物参考館"紫”)
大正13(1924)年頃
今回は外観だけ見てパスします。

付近には後藤織物工場の大規模な遺産群があるはずで探したのですが、塀の中に閉じ込めてあるためなのか発見できませんでした。

なので、桐生まちなか観光の場所である本町2丁目に向かいます。

まずは観光のスタート地点である有鄰館で味噌・塩・醤油・酒の蔵を見物。
旧矢野蔵群(有鄰館)
天保14(1843)~大正9(1920)年
市指定文化財

有鄰館の前の本町通りを天満宮がある北へと行くと、通りの両側にぱらぱらと古い建物が建っています。
旧書上商店
(指定なし)

郵便局の先にあるパトカーが出てきた路地を入ると、ちょうど通り沿いにある曽我家主屋の裏手一帯が曽我織物の跡地でした。
奥:眞尾家織物工場跡(まちなか交流館)(指定なし)
奥から2軒目:曽我家住宅主屋(明治後期)
旧曽我織物工場
大正11(1922)年

本町通り沿いの曽我家と隣の眞尾家を改造した「まちなか交流館」の間はイベント用の広場となっていました。
右手前煉瓦造:曽我家住宅新座敷(大正11(1922)年)
右手前2軒目:曽我家住宅土蔵(明治後期)
左手前:眞尾家土蔵(指定なし)
まちなか交流館(桐生市重伝建地区公開活用施設)は、古い腐りかけた明治時代の旧家を2年がかりでリフォームして、観光案内と会議室などに変えた施設です。
中に入ると、ヒマな平日だったためか職員の方が丁寧に案内してくださいました。

通りに面した店舗から奥に長く住宅が続き、屋内から直接土蔵に入れるこの地方独特の家屋を見ることができました。
また、上の画像に右側の建物のように、建物の北側のみが土やレンガで作られているのは、乾燥した冬季の火災延焼を防ぐ目的とのことでした。

建物のリフォームは、元の部材と手直しした部分の違いが分かるようにというコンセプトで、木材が丁寧につぎはぎされているのですが、腐食部を交換した後の新しい部材の方が多い箇所も目立ち、リフォーム前の惨状が推測できました。
…奥多摩や奥秩父の山中に放置された廃村の家屋が目に浮かび、木造建築の維持や文化財としての再生・活用の困難さを実感しました。

まちなか交流館の向かい側は平田家住宅数棟が建っています。(見えない裏側に主屋・土蔵もあります)
平田家住宅・旧店蔵
明治33(1900)年

その北隣の中村家は、明治27年~昭和12年築の6棟が文化財となっています。(見えるのは通り沿いの1棟です)
中村家住宅(中村弥市商店 店舗)

中村家の向かいの北川織物工場は4棟が文化財ですが、三角屋根の工場は表から見えない角度でした。
無鄰館(旧北川織物工場主屋)
大正5(1916)年頃

その並びの先は森家の建物群。
左:森合資会社事務所・奥:森家住宅石蔵(旧穀蔵)
大正3(1914)年
一番古い土蔵は改築中でした。
森合資会社店蔵(明治前期)

本町通りを歩いていると、正面に天満宮の鳥居が見えてくるので、境内に入ります。
末社機神神社本殿(附重要文化財)

機神神社の先にある門をくぐると、重要文化財の本殿がありました。

天満宮 本殿・幣殿・拝殿
寛政年間(18世紀末)~享和年間(19世紀初期)
国指定重要文化財

奥へと続く幣殿・拝殿外壁の彫物が素晴らしいです。
適切に改修すると、北関東では日光東照宮に次ぐ荘厳な神社建築が再生すると思われました。

本殿の裏にひっそりと立つ2塔の小社のうち、右側の物件は北関東で屈指の古い建物だそうです。
右:末社春日社本殿
17世紀初期
国指定重要文化財


天満宮の裏で県道66号(桐生田沼)線を渡ると、群馬大学桐生キャンパスがあります。
群馬大学工学部守衛所
大正5(1916)年

旧桐生高等染織学校正門
群馬大学工学部守衛所
大正5(1916)年

大学の周辺にも三角屋根がぽつぽつと残っています。というか、かつて織物工場地帯の中にあった染色学校が工業高校・高専となり大学に併合されて理工学部となった といったところでしょうか。

これはワインの貯蔵庫として使われている物件。
(指定なし)

こちらはアトリエとして使われている?
(指定なし)


おしゃれ?なパン屋さんになったものもありました。
右:旧株式会社金芳織物工場鋸屋根工場(ベーカリーカフェ・レンガ) 大正8(1919)年
左:旧株式会社金芳織物工場事務所 昭和初期

主なところは一通り見たかしら?
バスに乗って駅に戻りました。

おまけ。

線路(JR線)の南側、新川橋通り(ドンキの前の通り)沿いの巴町1丁目にも数件の物件がありました。
手前:旧堀家住宅 主屋(ショコラ・ノア) 昭和2年/平成20年改修
奥:蔵 昭和4年

旧堀祐織物工場(美容室アッシュ)
昭和(1935)10年頃

島田商店(全7棟)
手前: 旧石蔵 昭和12/昭和60年改修
その左:旧倉庫 昭和28年
右のシャッター:旧事務所 明治後期/昭和12・60年改造
右奥: 店舗  大正時代
どれも現役の施設としておしゃれに活躍されていますが、元の文化財の外壁を結構派手に取り去ってないか?

思い立ったらすぐ行ける。 その他の首都圏近郊ハイキングの記録はこちら

●本日の反省 …昼食難民となる。
お昼までまだ30分ほどある時刻に、西桐生駅前のお弁当屋さんにたくさんの人が集まっているのを見た。
行列とは言わないまでも、それに近い人数で、老若男女、町中の人が集まってきたかのような光景にちょっと違和感を覚えたものの、その時は人気店なのかなくらいの気持ちでいたが、あそこが最終補給店だったとは。
それから街中をあるくこと2時間半。最初に見つけた飲食を提供する営業店は帰りのバスに乗る直前に通ったベーカリーカフェ・レンガだった。
市内に100軒ほどあるといわれるうどん屋はいったいどこへ行ってしまったのだ?
名物のアイスまんじゅう「シロフジ」も、売っている店どころか、店そのものがないぞ...
駅前の方が店があるかなと思い駅へと戻るも、開いている飲食店(というか飲食店そのもの)が駅周辺にはなく、ドンキのフードコートが最寄りだった。
飲食に限らず生活必需品を供給する店がドンキ(とセブン)しかないように思えた。
電車の時間が近かったためか、駅周辺には結構な人数の学生が集まってきたが、彼ら/彼女らはいったいどこで必要なものを手に入れているのだろうか?

見物する場所よりも先に食べ物の情報を(できれば第3候補くらいまでは閉まっていることも織り込んで)調べ、食べる計画を立ててからその他のことを考えよう。

●2024年10月2日(水)
桐生駅(11:30)→西桐生駅(11:35)
→水道山記念館(11:45)→西公民館(12:00)
→金善ビル(12:20)→桐生倶楽部(12:30)
→織物参考館(12:45)→有鄰館(13:05)
→まちなか交流館(13:20~13:40)
→天満宮(13:50)
→群馬大学工学部同窓記念会館(14:00)
→ベーカリーカフェ・レンガ(14:10)
→本町1丁目バス停(14:14)


2024年10月7日月曜日

足利市まちなか 歴史的建造物ウォーク

10月になっても残暑とそれに伴うゲリラ豪雨が収まらない2024年は、安全な街中散歩にお出かけすることにします。

先ずは北関東の古都? 足利へ。



東武伊勢崎線の足利市駅は、川崎市の武蔵小杉から各駅停車を利用すると3時間近く、熱海の倍くらいの時間を要しますが、電車賃はほぼ半額の片道¥1,400くらいでした。

北口を出てすぐ前を流れる渡良瀬川を、何故か自動車通行止めとなっている中橋で渡ります。

渋滞しているお隣の橋との間には、平日の朝からのんびり釣りに興じる老人が散見されます。

橋の上から左手前方を見ると、2つのビルの間の山腹に何か建っているみたいなので、先ずはあそこへ行ってみることにします。

中央通り(県道67号線)を織姫交番前信号で曲がり、歩道橋を渡って長い階段を登ると、昭和の鉄筋コンクリート建築なのに何故か国の重要文化財に指定されている織姫神社が建っていました。

社殿の手前にある社務所と神楽殿も国指定重要文化財でした。
他にも手水舎が重文指定されていましたが、あまりに平凡なので気づきませんでした。

そして、社殿前の町を見下ろす場所は恋人の聖地。
ここもか。
でも、宗教施設で恋人を名乗るのはなかなかないかも。

湘南平の展望台とは違って、神社公認のワイヤーに社務所で購入した錠前を掛ける制度です。

社殿の奥には2021年に大規模な山火事が発生した両崖山へと続くハイキングコースの入口がありました。
何故か大山阿夫利神社もあるみたいです。
ただ、今日も30℃超えの暑さとなるのに加えて、この上には大規模な駐車場があったはず。
なので、ここから先はもっと涼しくなってからクルマで来ることにします。

先ほど通った県道の一本北側にある北仲通りを戻ると、堀に囲まれた正方形の敷地があらわれました。

足利学校と並ぶ足利市のシンボル、鑁阿(ばんな)寺(足利氏宅跡)です。

敷地の南側中央にある太鼓橋を渡り、山門をくぐると、正面に国宝の本堂が見えました。
太鼓橋
江戸時代
山門(仁王門)
鎌倉時代

本堂
鎌倉時代
国宝

寺の敷地は分譲マンションの部屋ように「田」の字に区切られており、中央が本堂で、今立っている通路の右が鐘楼。左が多宝塔ですね。
尚、鑁阿寺は8代目尊氏が140年後に室町幕府を開く足利氏の、二代目義兼によって建久7(1196)年に開山されたため、寺内の多くの表示は同年の建立となっていますが、実際に建築物が整備され始めたのが子供の三代目義氏の代からなのと、その後何度も移転・改修されているため、築年がとても曖昧です。

鐘楼
鎌倉時代
国指定重要文化財

心字池

鐘楼側の出入口の東門です。
東門
鎌倉時代;永享4(1432)年再修
県指定文化財


多宝塔は大きな銀杏の木の横に建っています。
多宝塔(二重塔/塔婆)
寛永6(1629)年(江戸時代)再建
県指定文化財

別の角度から。
遠方の建物は経堂。

本堂の左(西)側にも堂宇が並んでいます。

中御堂(不動堂)
元禄元(1592)年再修

一切経堂
応永14(1407)年(室町時代・足利満兼(関東管領)再建)
国指定重要文化財

経堂の並びの先は西門となります。

西門
鎌倉時代

こちらは本堂・経堂の裏に並ぶ建物。

左(西)側から順に、
御霊廟(おたまや)
正和年間(1312)以前 江戸時代
県指定文化財

大酉堂(おとり様)
寛政2年以前(江戸時代?)

校倉(大黒堂)
宝暦2年(江戸時代)再修
市重要文化財

蛭子堂
創建不詳
市重要文化財

北門(薬医門)
弘化2年江戸時代 千住院(現足利幼稚園)門を移転
市重要文化財


一通り見終わったので、お隣にある史跡の足利学校を見物に行きます。
こちらも四角い敷地を堀で囲まれているので、ぐるっと駅側に回って入場。

入徳門
明治42(1909)年移転修復
紀州徳川家徳川斉順書

最初の門を入って参観料¥480を支払うと、教科書で(かどうかは記憶にないが)見たかもしれない「学校」の門をくぐります。

学校門(寛文8(1668)年)

思ってたよりも小さい門をくぐると、その正面は孔子廟の入口で、中に木の像が置いてありました。。

杏檀門(明治33年再建)
ちょうどガイドツアーで賑わっていましたが、その話はまた後で...

孔子廟(聖廟)(寛文8(1668)年)

孔子坐像
室町時代(天文4(1535)年)
県指定文化財

小野篁坐像
江戸時代(延享3(1746)年)
市指定文化財

孔子廟の右側は、方丈、庫裡、書院などが並んでいて、中に入ることができます。

方丈の裏手をぐるっと回って入口に戻ります。

足利学校の入口から、ボロボロの電気機関車が置いてあるJR足利駅までは徒歩10分足らずでした。
往復6時間の電車旅にもかかわらず、見学が二時間くらいで終わってしまったので、県境を越えて桐生に行くことにします。

これから行く桐生のまちなかウォークはこちら

思い立ったらすぐ行ける。 その他の首都圏近郊ハイキングの記録はこちら


●本日の反省
足利市では団体を対象に、観光案内人が「教科書には書かれていない魅力」を無料で解説してくれるガイドサービス(要予約)があり、今回足利学校でたまたま案内の団体さんに遭遇した。
風に乗って聞こえてくる解説によると...
かの武田信玄が軍師を募集する際に、面接要綱に「何を足利で学んだか?」との質問があり、合否を分けていた可能性があるとのことである。
東大早慶どれかなら良いのではなく、東大のどのゼミ出身かが合否を分けるということか...
信玄と言えば、昔の社員旅行のバスガイドが言っていた「人は石垣、人は城」という言葉から、漠然と「建物より人を大事にする」良い人なんだなと今まで思い込んでいたが、30年以上漫然とサラリーマンを続けた自分が感じるこの感覚はどうやら微妙に(もしかすると決定的に?)違うらしい。
雇用する側の論理では、「求める能力・スキルを持ってる人にだったら、建物の分の予算を回してもいいよ」くらいの感覚だったのではないか。
言う側の立場を考えずに、自分の都合で勝手に言葉を解釈していると、大きな勘違いが積み重なって残念な人生を歩むことになると反省。

●2024年10月2日(水)
足利市駅(8:50)→織姫神社(9:10~9:30)
→鑁阿寺(9:40~10:20)
→足利学校(10:20~10:45)
→JR足利駅(10:50)



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