2021年12月28日火曜日

三原山 (ハイキング)

 2021年の暮れも押し迫った師走の週末に、伊豆大島に出かけました。

この冬一番で数年に一度クラスの寒波が北陸以北に豪雪を見舞う日は、暖かい伊豆で三原山登山です。



ここは土曜日の夜11時過ぎの横浜港大桟橋です。
東京竹芝桟橋を出港した大島・利島・新島・式根島・神津島航路の大型船が、シーズンオフの週末(金・土曜日)のみ、深夜に横浜に寄港します。

小雪が舞い寒風吹きすさぶ横浜で乗客8名が乗り込んだ船は、23:30に静かに離岸し、夜景を背にしながらベイブリッジをくぐって横浜港を出ます。
この日乗船した三代目「さるびあ丸」は、2020年夏の就航後一年半しかたっていない新しい船で、二等船室にも共同のシャワーが完備されているなど、新しくて快適な設備で、コロナ禍の影響なのかシーズンオフだからなのか、10人用の船室が貸し切りとなる快適旅ができました。

翌朝日曜日の6時に最初の寄港地、大島の岡田港に到着します。
伊豆大島への着岸は、その日の風向きにより元町か岡田のどちらか条件の良い方の港となっており、不確実性がある一方で、よほどの悪天候でない限りは運航されているみたいです。
ちなみに折り返し終点の神津島と大島以外のこの日の帰りの便は、全て欠航(寄港せずに通り過ぎていく)でした。

上陸した桟橋の基部にある待合所の近くで3台の路線バスが待ってくれています。
この三台は、船の到着時刻に合わせて、入港した港から波浮港と三原山温泉、それに船が到着しなかった方の港に向けて出発してくれる定期時刻の無いバスで、利用者のニーズに合ったとても便利なものですが、下船した乗客が歩いてきたらすぐに出発するため、寄り道厳禁です。
三原山の山頂口に最も近い「三原山温泉」行きは一番右の電光掲示がある路線バスっぽい車両でした。

乗客2名を乗せた路線バスは、深夜の山道を疾走し、あっという間に外輪山の一角に立つ「大島温泉ホテル」に¥660で到着します。
バスの行先の名前と一致しませんが、このホテルの入口にあるバス停が「三原山温泉」でした。

バスを降りたら、ホテル前の舗装道路を山頂口に向かって登って行きます。



馬が放牧されている牧場の横を過ぎると、「『新』火口展望台」なる道路脇の視界が広がるところで、ちょうど日の出を撮影している地元の方に声を掛けていただいたので、一緒に日の出を迎えます。

割れ目噴火口への車道の分岐があるところからは、外輪山の稜線上につけられている廃道を行くことにします。
この廃道は、稜線のアップダウンを忠実に辿りながら、途中の火山観測装置のある603m三角点で視界が開ける以外は、鬱蒼とした照葉樹林の中を山頂口展望台まで続いています。

ホテルから歩くこと歩くこと1時間で、御神火茶屋や派出所がある「山頂口」に到着しました。

山頂口駐車場の端からは、眼下に空港や岡田港、対岸の伊豆高原などが見下ろせます。


それでは、中央火口丘に向けて、ここからカルデラ内部へと入って行きます。

中央火口丘上のこちら側にある三原神社へは、立派な舗装道路「山頂遊歩道」が続いていますが、カルデラ底に降り立ったすぐのところで、表砂漠コースが右に分岐していたので、こちらに行ってみることにします。

表『砂漠』は、多少砂漠っぽいところがあるものの、概ね低木とブッシュが広がる平地で、外輪山の麓に沿って、四輪車の轍のハイキングコースがあります。

20分ほど歩いた地形図上に592m標点がある巨大な広場で、山頂部に向かう標識のない径が分岐していますので、まっすぐ続いていく轍の道路を見送って左折します。

分岐した径はすぐに、直接山頂へとむかうものと遊歩道へと向かうのもに分かれるので、左の遊歩道方面に行くことにします。
外輪山の稜線を背にして、中央火口丘を右に見ながら溶岩原の中を行くこと10分少々で、遊歩道の舗装道路がカーブしているところにでました。
ちょうど「1986年11月19日に、三原山の山頂火口からあふれて流れてきた溶岩がここで止まった」という解説標のあるところです。

舗装道路を登りながら見る山頂部には、3本ほど山肌が黒いところがありますが、あれが1986年(昭和61年)に流れてきた溶岩流だそうです。

上から見下ろしてみると、カルデラ底の西(左)~北の平面の中に、黒い地面が出っ張っていますね。

黒い部分の先端を拡大してみると、溶岩が流れてきて止まったイメージが湧いてきます。
下の画面右側からまっすぐ伸びてきた遊歩道が溶岩流の先端に当たったところで、(恐らく昔はそのまま真っすぐ溶岩の下方向へ延びていたであろう遊歩道が)カーブしながら溶岩の端に沿ってこちらに向かってきているのが見えます。

強風の中を登り着いた中央火口丘(内輪山)の上には、35年前に溶岩に流されて来てここで引っかかって止まった大きな岩が二つあり、三原神社の鳥居が立っていました。

岩の裏側には、観光ガイドによくあるゴジラ岩?がありましたが、あまりうまく撮影できませんでした。

ゴジラ岩のすぐ先の分岐を左に行くと、コンクリート製の大きな建物の手前で径が分岐しており、右はお鉢巡りの「火口一周遊歩道」。左は「火口『西』展望台」への往復路です。
この建物、ガイドブックなどによると「火口展望『台』」という名前だそうですが、三原山には『火口展望』と名の付く場所が4か所あり、慣れるまではでれがどこのことかが大変わかりずらいです。

先へと進む前に展望台に登り、周囲を見回してみます。
これはゴジラ岩と鳥居がある方向。

その左手の西側には、下の写真の大展望が広がります。
右端の温泉ホテルから、正面は奥に伊豆半島が見える山頂口、その左の表砂漠を経て、左端の海上には利島や新島まで見渡せました。
まさに絶景なのですが、ここはひときわ風が強いです。

さて、それではひとまず「西火口展望台」を往復してみます。
1986年の噴火時は溶岩で満たされていた火口丘の中に続く立派な遊歩道の行き止まりにある西火口展望台からは、火口が間近に望めますが、火口の底までは見えません。

もう一度「火口展望台」の建物まで戻り、「火口一周遊歩道」を行くことにします。
火口丘の縁を巡る遊歩道は、反時計回りの周回がおススメとの現地の表示に従い、前方に先ほどまで歩いていた表砂漠を見下ろしながら、左側に見える山腹から湯気を吹く三原新山を目指します。

内輪山のカルデラ壁沿いに行くと、南に続く伊豆諸島の島々がよく見えてきます。

右側の表砂漠や伊豆半島が徐々に背後に回り、新山への登りに差し掛かると、南側にある白石山との間のカルデラの底には奥山砂漠と呼ばれるこれまた広い平地が見下ろせてきます。

そして、「火口展望『所』」と呼ばれる一周遊歩道の最高点に到達すると、突如眼下に火口が出現します。

広角でみると如何にも火口というにふさわしい光景が広がり、火口の底に近いところまでよく見えます。

火口の反対側は、外輪山との間に平坦(に見える)地が広がります。

火口丘の縁(内輪山の火口壁)の上を引き続き進みます。

35年前、この円形の窪地に満たされていた溶岩が、一番低い向こう側から溢れていったのが何となくわかるような気がします。

外側のカルデラは、櫛形山という左側の凸が近づくにつれて、地面がタールを流し込んだかのように真っ黒になって行き、ちょっと興味を惹かれます。

4分の3周くらいすると、中央の火口はすっぽり陥没したビジュアルとなり、火口丘の外側には1986年のB2火口の巨大な裂け目が広がっています。

B2火口は、内輪山火口壁の内外両側から噴煙を上げています。
下の写真は内壁沿いの噴煙で、外側の煙はこれから下っていく道中でよく見えます。

火口一周遊歩道をほぼ周回し、山頂遊歩道の分岐が間近となるところに、「温泉コース」の分岐がありますので、出発地の温泉ホテルに向けて右折します。

中央火口丘の北側を下っていくこの登山道からは、カルデラ底北側のこれまた雄大な景色が広がります。

左に古い火口を連想させる緩やかな窪地を見下ろし、右にB2火口の噴煙を見上げながら、大溶岩流の中を緩やかに下って行きます。

荒々しい溶岩の突起と、緩やかにカーブを描く山肌が対照的な光景を見ながら砂地のハイキングコースを下っていくと、「テキサスコース」と「大砂漠コース」(それとも月と砂漠コース?)の分岐に到着します。
各ハイキングコースが合流するこの辺りは、「裏砂漠」と呼ばれるところだと思うのですが、砂漠というよりはススキ野原といったような感じで、砂漠っぽくありません。
もう少し「砂漠」はないかと、テキサスコースを少々下ってみることにします。

房総半島の先端を正面に見ながらテキサスコースを下りますが、ススキ原の光景にあまり変化はなく、コース脇の溶岩に登って周囲を見渡してみますが、どうも砂漠っぽくありません。

地理院地形図の「裏砂漠」の活字近くまでハイキングコースを下ってくると、ススキはますます生い茂り、視界はブッシュの中に埋まってしまいました。

なので、ススキの背が低いところを狙って、ハイキングコースを外れて地形図の「裏砂漠」表示のところまで切り込んでみることにします。

ところどころにある黒い砂の部分を拾いながら、ススキを分けて地形図の『砂』の字のところまでやってきました。
やはり砂漠は存在せず、枯草の海が広がっています。

砂漠に執着して小高いところから周囲を見回してみると...
お、あっちの方に少し黒い地面が続くところがあるぞ。

黒い地面が見える方へと謎の境界標が埋まる荒野を少々行くと、周りを取り囲んでいたブッシュの量が急に減り、俄然砂漠っぽくなってきました。

パチンコ玉くらいの大きさの足下の黒い砂は、凍っているためか、いつもそうなのかはわかりませんが、アスファルトと雷おこしの中間くらいに程よく締まっており、サクサクと大変歩きやすくて、どこへでも自由に歩いて行けそうです。

そして、自由に横行するのは歩く人だけではないみたいで、どこからやって来たのか、車両の轍があちこちに走り回っており、天山南路よりも頻繁に利用されている道路の様です。

轍はどんどん広大となる砂漠の中を、櫛形山の山頂へと続いていきます。

轍に導かれて強風の中を登ること30分弱で、火山観測装置の置かれている櫛形山の山頂に到着です。

強い西からの季節風が吹き付ける三原山の真裏側にある櫛形山は、猛烈な強風が吹いており、風速は山頂でピークに達しました。
山頂から南側には行ってないので、本当はどこの風が一番強かったのかはわかりませんが、山頂付近の10mくらいの高度では、体感風速30m/sに迫るくらいの突風となっていました。

強風で一瞬カラダが宙に浮いたのは数十年ぶりの経験で、危うく風下の砂漠を転がり落ちて海まで飛ばされるかと思うくらいの恐怖でした。

匍匐前進に近いくらい体制を低くしながら引き返し、身長の3倍くらい高度を下げると風は一気に弱まり、普通の強風に戻りました。
ほっとしながら、温泉ホテルを目指して下ります。

強風のためなのか、それとも火山ガスの影響なのか、今立っている周辺は、お隣の三原山も含めて真っ黒です。

強風の中、黒い砂漠をそそくさと下り、先ほどまで居たススキ野原へと突っ込みます。
風も少し弱まり一安心。


温泉コースに合流し、ススキの中をまっすぐ進む道を三原山を背に下って行きます。

ハイキングコースが樹林に覆われると間もなく、ホテルへと左折する標識が出てきて、舗装道路を登ると、出発した温泉ホテルに到着です。
朝に降りたバス停に1つだけ表示されているバス時刻(2021年末は13:47発)は、その日に大型船が出港する港へ向けて発車します。
但し、ホテルの日帰り入浴開始が13:00なので、早く下山すると結構待つことになり、かつバスに乗ろうとすると長時間入浴できないように仕向けられてはいます。

岡田港でバスを降り、そのまま岩壁を歩いて船に乗り込むと、間もなく竹芝に向けて(土日は横浜経由で)出港します。

夜に東京に着く帰りの便は、日暮れ~黄昏の東京湾をクルーズしながら、何故か往路よりも乗船時間がかなり短く、3時間半で横浜に到着しました。


思い立ったらすぐ行ける。 その他の首都圏近郊ハイキングの記録はこちら

●本日の反省
・三原山 吹きっさらしの外輪山は強風注意
・円錐形の独立峰の風をナメてはいかん
本当は火口見物をした後で、白石山を経由した外輪山一周をしようかと思っていたのだが、三原山山頂部の風がとても強く、なんだかイヤな予感がしたので諦め、早々に温泉へと下った。
はずだった。
のだが、あまりに下山時刻が早いので、途中でちょっと寄り道をしたあげくに、その後の成り行きでイヤな予感がしたはずの櫛形山に登り、突風と遭遇することとなった。
平滑なドーム形の表面を流れてきた風は、風下の中央部で漏斗状に集合して強風になるという話は聞いたことがあったのだが、まさに理屈通り三原山本体の風速を遥かに凌ぐ突風を身をもって体感した。
自分の都合を中心に考える本能を持つ人類は、途中で尋常ではない風を感じていても、「風下だから、三原山の陰になってこれ以上は強く吹かないかも」ということになってしまう。
そういうときは、実際に風が強く吹かなかったとしても、やめておくに越したことはない。
わざわざ先へ進んだとしても、リスクに見合う以上のものなんてないのだから。

●2021年12月26日(日)
岡田港(6:00)→(バス)→大島温泉ホテル(6:30)
→山頂口(7:30)→表砂漠コース→592m標点
→546m標点→山頂遊歩道→三原神社(8:45)
→火口西展望所(8:55)→一周歩道(半時計回り)
→温泉コース(9:56)→裏砂漠(10:50)→
櫛形山(11:20)→大島温泉ホテル(12:20~13:47)
→(バス)→岡田港(14:10)



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