2020年8月10日月曜日

月夜見沢 (沢登り)

 梅雨明け後の一週間も山間部は夕立が続き、沢の水がどの程度減ったかの予想がつかないため、もともとあまり水が流れていない、北秋川の支流を選んで沢登りに出かけました。

初級向けの小沢「シンナソー」が目的ですが、遡行時間が2時間程度と非常に短いため、行く前に北秋川の向かい側にある月夜見沢にも寄ってみることにしました。

この後に行ったシンナソーの記録はこちらです。


武蔵五日市駅から出発するバスの終点。藤倉バス停からスタート。

北秋川に沿った鞍掛への道を10分ほど歩いたところにある「落合橋」です。
橋の手前右側にある青い色の手すりの階段を下ると、白岩沢と名前を変えた北秋川に降り立ちます。

夏休みの子供が水遊びをしている川のすぐ下流側(下の写真のアングルの反対側)に左岸から流れ込んでいるのが月夜見沢です。

出合から望む月夜見沢。
林道沿いを流れる極めて平凡な沢です。

さっそく淵らしきものが現れますが、通路状になっている左側のコンクリートの護岸を行きます。

また少し行くと作業小屋が建つ「姫淵」と呼ばれるらしき場所に到着します。

大きな岩が流れの上に張り出していますが、淵のようなものは無く、歩いて通過します。

そして、その後はしばらくの間、単調な川原歩きが続きます。

たまに釣りのポイントのような変化がありますが、ごく稀で....

すぐにまた平凡な歩きとなります。

下流部の流れの上は木の枝に覆われておらず開放的で、釣り向きです。
ただし、同じようなことを考える人は多いみたいで、この日は会いませんでしたが頻繁に人が入っている風情が感じられます。

というわけで、手応えも全くありません。
絶滅してしまったのでしょうか。

距離は長くないのですが、ひたすら単調なので、実際に要した時間以上に長く感じられます。

おっ。あのカーブの先に何かあるか?
と思いながらコーナーを曲がると、

特になにもありません。

といったことを繰り返しているうちに、堰堤が登場しました。
これまでで一番深い手前の淵のようなところには何もいませんでした。

すぐ先にも2つ目の堰堤がありました。
堰堤はこれで全部で、どちらも左岸に踏み跡がついています。
2個目の堰堤のすぐ下流側にパイプから水が吐き出される滝がありました。
水を吐き出すパイプはこの後も2個登場しますが、いづれも林道がある右岸にあります。

そして、歩くこと一時間少々でようやくヒザよりも上が水に浸かるところが出てきます。

猛暑日なので泳ぐと気持ちいですが、山の中は涼しくて気温はまだ25℃くらいでしょうか。
ちょっと長い時間水に入っていると微妙になってきます。


その奥にある倒木が引っ掛かっている場所は左側を簡単に通過できます。

そこを越えると小滝の淵がありました。
ここは泳いで突破しようとすると小滝で窒息してしまいますが、釜の右側から歩いて通過できます。

そして、少し先のこの小滝で、変化が連続する場所はおしまいとなりました。

植林とパイプの川原を歩きます。

そして、いい加減退屈してきたところで、先になんとなく期待させるような気配が感じられました。

コーナーを右折すると、この沢最大の釜がありました。
「釜淵」という名前がついているのでしょうか。

滝壺までは簡単に近づけるので、突っ張りで登れないかと物色しますが、側面が滑るのと、手前に開き気味なので、うまいこと突っ張れません。
というよりも、流芯は高速の流れが集中して、遠くから見るよりも結構激しく、グルグルと水が巻いており、なんかコワいです。

なので、右岸のこの岩から巻きます。

巻いてる途中はこんな感じです。
飛び込んだら気持ちよさそうですね。
結局飛び込まなかったのですが、ちょっと後悔しています。

巻き終わって振り返ります。
また川原歩きとなります。

左岸から枝沢を見ると、徐々に両岸の傾斜が緩やかとなり、並走する林道が下りてきます。

そして、遂に流れが林道側壁の法面と接するようになりました。
この辺りから徐々に川原がなくなり、沢中の倒木やボサ、蜘蛛の巣が激しくなり、だんだんと荒れてきます。

そして林道終点が近づくと、本流と(恐らく高岩沢という名前の)左岸枝沢に歩道橋が架かっていました。
この橋は通行止めの表示がされていましたが、地形図の陣馬尾根の西面に「猿江」と書いてある方角へと向かっています。

そして、流れを最初の木の橋が横切るところが林道終点です。

ちょっと遡ると、木の橋が渡り返します。

すぐ先が640mの右岸枝沢の出合で、ガイドブックによるとこの先のヒイラギ沢出合までは釜や小滝があるとのことですが、釜淵からここまでの道程では全くその気配が感じられず、ここからの見た目でも、右側の本流は倒木が鬱陶しそうなことから、ここで引き返すこととします。

もう一つの引き返す理由は、ここまでなら沢沿いに造林用の歩道が完備されており、楽に戻れるからで、まあ、こちらが本当の理由ですね。
出合の右岸側は大規模な伐採と植林の跡が広がっていました。

多少崩れた個所はあるものの、歩きやすい作業径を通り、最後は少ない高低差を木道で登って林道に復帰します。

林道はいつしか舗装された立派な道路となり、途中のところどころで遡行してきた沢を見下ろしながら、入渓した落合橋まで続いていました。

ここからは、一旦往路の道路を藤倉バス停まで戻ります。

同日午後に遡行したシンナソーの記録はこちら


●本日の反省

 遡行そのものは約1時間半程度で長くはなく、滝や釜もそれなりにありますが、数が少ないため、常に川原を歩き続けるという印象だけが残りました。

 子供(稀に大人も)の川遊びが存分に可能な淵はあるもののアプローチが長すぎるし、釣りのポイントは多いものの既に絶滅?している気配が濃厚です。上流で竿が取り廻せない環境となってからはやたら泳いでいましたが。。

 もう少し下調べをしてから行くかどうかを決めると良いのでしょうが、情報が....


●2020年8月9日(日)

藤倉バス停(7:55)→落合橋(8:05)→(月夜見沢遡行)

→砂防堰堤(9:00)→釜淵(9:25)→林道終点(10:10)

→標高640m右岸枝沢出合引き返し(10:30)→(造林用歩道)

→脱渓(林道終点;10:45)→(林道)→落合橋(11:10)


●戦前に発刊された書籍(「奥多摩」宮内敏夫著(復刻版;百水社))では、月夜見沢は北秋川の源流と記載されている。

 落合橋下流の出合では直進する川に左岸から合流してくることや、鞍掛や数馬へと続く北秋川沿いの車道が白岩沢に沿って続いていることから、今までずっと白岩沢が本流だと思い込んでいたが、気付いてみると確かにウィキペディアにも月夜見沢が源流と書いてあった。

 話を当時の記録に戻すと、落合橋から入渓したことや、高岩沢出合付近で猿江から作業径が降りてくるのに気づいたことなど、今と変わらない記述がある一方で、この沢を遡行するには、何と(当時のバスの終点)十里木から歩いて「前夜までに藤原(藤倉バス停周辺)に来ていなければならぬ。」そうである。

 自宅から半日ちょっとの行程で済ませておきながら、退屈だとか、情報がないからそうなったみたいなことを書いている上記の反省文を当時の人が読むことを想像すると、お互い道楽目的だったとはいえ、多少不謹慎で恥ずかしい。

 また、釜淵、籠淵、中兵衛淵、一本ドウセ といった固有名詞のついた道中の難所が記載されているが、現在の呼称と別の場所を指したり、地形が変わってしまったりはしているだろうものの、それらに気づかないまま通り過ぎたことになる....

 90年後の今、前日に十里木から歩いて藤原の古民家に宿泊した自分がここを訪れたとしたら、それぞれの淵が目に入って来ただろうか。

 アプローチの時間ばかりでなく、周囲の環境も、長い年月を経て変わって来たように感じられる。

 昭和初期には薪炭原料として自然林が大量に伐採され、奥多摩主脈南面が荒れ果ててしまったことを著者は嘆いているが、現在の同地は鬱蒼とした植林で埋まっており、我々はその森を維持するための林道を便利に歩いて自然に親しんでいるように感じ、その下を通る枝沢のパイプや沢沿いに露出した法面を見て風情が無いようなことを勝手に思う。

 変わっていく次の時代に、地元の方々の生活の場であるこの山々と、どのように向き合おう?



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