JR宇都宮線で久喜の3つ先、小山の3つ手前の古河は、かつて下総国葛飾郡に属した日光街道の宿場町で、ウーバーイーツは埼玉県から運ばれてきますが、何故か茨城県で、県西最大の都市となり町田市が神奈川県に突出するように栃木県にせり出しています。
平安時代の製鉄・窯業に始まる伝統的な工業都市ですが、何故か全国京都会議に加盟する「関東の小京都」なので、いったいどのような「小京都」なのかを見に行くことにします。JR古河駅を降りて、「小京都」とは反対側の東口から県道294号(東野田古河)線を数百mほどゆくと、ショッピングモール「あかやまJOY」のそばに個性的な建物があります。
亀屋商事(旧飯島家住宅)本館(国指定;昭和10(1935)年)
小京都というには少し風情が異なる建物から引き返して県道を西へと行くと、線路をくぐったあたりから、古い蔵の風情の建物が少しあらわれますが、意匠も数も京都を名乗るほどではありません。
いつしか道は旧日光街道へと変わり、古河宿道標の石柱で「よこまち柳通り」と交差します。
そのよこまち柳通りを北へ少し行くと、ぽつんと一軒古い建物が建っていました。
武蔵屋店舗(国指定;明治中期)ちなみに柳通りは、しばらく先で先ほどの石柱のワンブロック先で折れる日光街道と合流し、小山へと向かっていきます。
ただ、画像に写る通り、周囲は平凡な北関東の地方都市の光景が続くのみなので、またまた引き返して、市が観光に力を入れる中央町へと向かうことにします。篆刻(てんこく)美術館表蔵棟(旧平野家表蔵棟)(国指定;大正9(1920)年)
篆刻美術館と隣接する古河街角美術館の間の路地に入ります。
左;篆刻(てんこく)美術館裏蔵棟(旧平野家裏蔵棟)(国指定;大正9(1920)年)篆刻美術館から文学館・歴史博物館がある一帯は道標が整備され、道路も美観を演出する石畳状となっていました。
道標の示す先は、先ほどの篆刻美術館と両博物館並びに「お休み処坂長」の三か所で、大変わかりやすくコンパクトな範囲に限定されています。
駅と博物館の中間地点ほどに立地する文化財がとてもきれいにリフォームされて、飲食店と土産物屋が入居するプチショッピングモールでした。
坂長本店店蔵(旧古河城文庫蔵)ほか5棟(国指定;店蔵;江戸後期、袖蔵;文久3(1863)年)途中にあった第一小学校まで一旦引き返し、小学校の赤門の前を通り、文学館方面へと向かいます。
歴史博物館の立地が古河城の外郭だったとのことなので、城郭の跡地の名残の様な気もしますが、古河城そのものは渡良瀬川の流路改変に伴い消滅したとのことなので、確かなことはわかりませんでした。
正面に見えるのは博物館の付属施設 鷹見泉石記念館
こちらが博物館
両者の立地はこんな感じです。
さて、古河観光はこんな感じであっさり終了しました。
駅から往復する定番の観光散策は、全ての博物館を詳しく見て、お土産を物色したとしても半日もあれば十分な感じでした。
せっかく遠くまで来たので、近くの国道354号線を南下して、古河公方公園(古河総合公園)へ。
大賀蓮池の先にあるちょっと小高い富士見塚というところに登ると、反対側にある沼の対岸に何か建っているのが見えます。
中を案内してあげると言われて説明を聞きますが、話が長い長い。
市街地で5か所しかない国指定文化財でした。
しかも重要文化財。
旧飛田家住宅(国指定 重文;18世紀前半)お隣に立つのは県の文化財
旧中山家住宅(県指定;推定17世紀)家の前で掃除しているおじいさんに気付かれない様、そっと離れようとあとずさりし始めたまさにそのとき、気配を感じ取られてつかまってしまいました。
表の解説板に書いてあることと同じ話をしているはずですが、内容が微妙に違います...
話を切り上げようとしてもしゃべり続けるおじいさんを5回目くらいで振り払い、駅へ。
2018年の大河ドラマで、鈴木亮平さんが高利貸しに土下座したのがここの土間だったという話が唯一の収穫でした。
思い立ったらすぐ行ける。 その他の首都圏近郊ハイキングの記録はこちら。
●本日の反省…予習は必要か?
①全国京都会議とは?
帰りの電車で検索してみたら、京都と似た景観や歴史的なつながりがなくても、伝統的な産業や芸能があれば京都会議のメンバーになれるそうです。
古河の伝統的な産業?? 自動車部品と加工食品って、伝統産業なのだろうか...
もしかして、鮒の甘露煮? それは産業なのか...
②鷹見泉石とは?
庭石かと思っていましたが、帰りの電車で検索したら古河藩の家老だったそうです。
ちなみに、市のホームページにしかヒットしませんでした。
実績よりも役職主義?
全国的な知名度は江戸時代の家老よりも、公園の名前にもなった「古河公方」足利成氏(しげうじ)だろう。
鎌倉公方に居座るため1454年に関東管領上杉憲忠を暗殺して享徳・長享の乱を引き起こし、同年に活動拠点を古河に移して以降、断続50年以上に及ぶ関東の仁義なき大戦乱の当事者となり続けた、戦国時代を10年超先駆ける、まさに時代の先駆者?
うぅ~ん。あらかじめ知ることができなくて、現地に行ってみてわかることは貴重だが、それをあらかじめ知っていたことでそこへ行く気になるかと言われると微妙。
●2025年2月21日(金)
古河駅(7:55)→旧飯島家住宅(8:05)
→武蔵屋(8:28)→篆刻美術館(8:35)
→坂長本店(8:40)→古河歴史博物館(8:50)
→古河公方公園(9:10~)
→旧飛田家住宅(9:25)→古河駅(10:00)
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