2024年12月28日土曜日

都留アルプス・勝山城跡 (ハイキング)

「やまなしハイキングコース100選」のサイトhttps://yamanashi-hiking100.jp/ で、#アクセスしやすい をクリックしてでてくる69件のうち、甲府盆地や富士五湖より手前にある首都圏から断然近い5か所のうちの一つに、クリスマスイブにお出かけしました。



■都留アルプス

新宿から各駅停車で2時間少々で着く富士急行線の都留市駅を下りて、大月寄りの国道の向こう側にある「ひまわり幼稚園」を目指し、幼稚園の隣にある谷村発電所の脇から送水管に沿ってスイッチバックの径を登ります。

急坂を登りきったところにある、富士山展望台の標識を右折した10メートル先で、本日最初にして一番の展望が開けました。

都留アルプスの表示に従い、都留市街/桂川の東側に続く丘の上を歩いて行くと、10分ほどで山頂に電波塔が立つ蟻山(烽火台跡)に到着。

一旦下って円通院への分岐を過ぎ、雑木林の中を行くと白木山となり、その先の山頂がほぼ一体化した長安寺山をほんの少し下った「パノラマ展望台」で次の展望が開けます。
富士山はほとんど尾崎山に隠れてしまいましたが、対岸の三ツ峠が良く見えるようになりました。

パノラマ展望台から下りきると水道橋と並行していきます。

橋の下をくぐって西願寺からの径が合流してきます。

天神山の先で再び地表に現れた水道管は、再び山へと潜って行き、ハイキングコースは四阿の立つ友愛の森へと登って行きます。

友愛の森のすぐ先で樹木が伐採された見晴らしの良い場所にでました。

都留市の中心部に向けた馬蹄形の斜面に桜の幼木が植林されているここからは、富士山こそ見えませんが、三ツ峠から本社ヶ丸、鶴ヶ鳥屋山の山並みが見渡せました。

さらに右手は滝子山から白谷ノ丸、雁ヶ腹摺山などの大菩薩連嶺南部の山々。

富士急線の両側に立つ高川山と九鬼山も見渡せます。

サクラの植栽地の一番高い場所にある分岐から、楽山公園の方へとちょっと寄り道してみます。

もともと高くない丘から下って到着した楽山公園の上部は、市街地の外れといっても良い場所で、都留文科大学のキャンパスに入ってしまいそうなくらいの場所でした。

そのまま駅まで行ってしまいたいところを我慢して分岐に戻り、都留アルプスを歩き続けます。

ハイキングコース最高峰?の都留アルプス山を過ぎると、径は植林の中のトラバースとなり、山際の公共施設とつながる径が何本か右側から合流してきます。

高圧線鉄塔下のここにはミツマタ群生地という表示があり、高圧線の下にミツマタが植えられていました。
まだ固い蕾でした。

野球場の脇から再び山へと入り、植林の中の小さな谷沿いに進んでゆくと、再び鉄塔の下に出ます。

二本目の鉄塔からは三ツ峠を望みながらぐんぐん標高を下げて、小さな沢状の地形を渡って少し登り返すと、山頂に住吉神社が立つ最後のピーク、古城山に到着します。

神社の参道を下って古渡の集落に降り、右にUターン気味に歩いて鹿留川沿いの道にでると、川の上をさきほど山中で見た水道橋の上流に当たる水道が渡っていました。

水道管の上を渡って国道に出て東桂駅に到着しました。
都留アルプスはこれでおしまいです。
寄り道と休憩を合わせて4時間半でした。

まだお昼休み時間なので、往復の電車賃を有効に使うべく、もう一か所寄り道してみます。

たまたまやってきたトーマスランド号(絵が描いてあるだけの普通の各停電車)に乗って3つ先の谷村町まで。
駅のサブタイトルが<谷村城下町>となっており、”富士の麓の小さな城下町”を謳っています。
江戸時代中期の谷村藩廃止により、何故かここだけ天領となった時点で城は無くなったはずですが、その後江戸中期から戦前まで続く絹織物産業が栄えた頃の風情が残っている場所を(城とはあまり関係なさそうですが)「城下町」と呼んで整備しているみたいです。
江戸以前の中世には、都留市役所付近にあった谷村城の後詰めの山城が上の画像の右上に写っている丘にあり、遺構が残っているそうなので、ぐるっと駅裏に回って行ってみます。


■勝山城跡

駅を出てすぐ右の道に入り、踏切を渡って下って桂川を渡って登り着いた正面の細い道に入って右折すると、勝山城跡の登城口に着きます。
看板に記載している城の縄張り図に従って見物していくことにします。

整備された登山道?が左にカーブするとすぐに内堀をあらわす石柱が立ち、植林の中に切り立った斜面が続きます。

径を進んで急斜面の上に立つと、川棚見張台という平地が張り出しており、背後は左方向に平坦に開削されたようなテラスが伸びていて、径はその右側を登って行きます。

そこから一段高いところにある平地が三ノ丸で、三ノ丸から上を見上げると、かなり高いところに二ノ丸、その右手前すぐのところに縦長な帯郭の平坦地があります。
帯郭からは桂川上流方向が一望できました。

谷のすぐ横に並ぶ同じくらいの高さの丘は先ほど歩いていた都留アルプスの長安寺山付近で、その左肩奥の一番高いところは二十六夜山、その左に少しだけ見えている山頂が今鞍山でしょうか。
右奥のひときわ高いのが御正体山。

上流方向に目を転じると、富士山を隠すような右手前の倉見山と画像中央の杓子山。

二ノ丸から一段登った最上部の本丸には立派な社と東照大権現の標柱。

登って来た登山道の直上にせり出す形の突端からは谷村町駅や市役所がある市街地が一望できます。

谷の向かい側はアンテナの立つ烽火台の蟻山。

下流側には九鬼山。

東側の尾根沿いに下って行けるようになっていますが、刈り払われているのは焔硝蔵跡までで、更に下にある見張台へ行くには藪を漕がないと行けなそうでした。

登城してきた径の正面となる北側にも、小屋の脇を通って下って行く道があったので行ってみます。

北側の尾根上にも郭跡と思われる平地が3つあり、2つ目と3つ目の郭間には明瞭な竪堀も残っていました。

竪堀を渡った一番下の郭の先には、いつの時代のものなのかわからない意味深な石製の枡形があり、この辺りで城域はおしまいみたいでした。

引き返すときに西側に踏み跡を見つけたので入ってみると、何と新しく作られた立派な径がスイッチバックで下って行くではありませんか。

そのまま降りていくと高速道路の脇に降り立ったので、そのまま道路をくぐって側道を都留市駅へと向かいました。


思い立ったらすぐ行ける。 その他の首都圏近郊ハイキングの記録はこちら

●本日の反省
①お食事は東桂か谷村町駅の周辺で
 起点・終点とした都留市駅周辺には飲食店が少なく、またしても昼食難民となる。
 富士急の主だった駅周辺の国道沿いにはファーストフードやチェーン店があるのに、何故か都留市駅には無く、その一方でモーテルや温泉があり、タクシーも必ず客待ちしている。
 そういえば、コンビニもここだけ何故か国道沿いではなく閑散とした駅前に立地しており、不自然さのあまり出発時に見落としてしまった。
 それにしてもどうして、いかにも町を代表するような「都留市」という駅の名前となったのだろう。
 市役所はお隣の谷村町にあるし、主要公共施設があり特急が停車するのは文科大学前なのに。

②もう1か所くらい組み入れるとよかった
 お手軽でとても良かったが、首都圏からだと往復4時間超の距離にあるため、都留アルプスのみで終わると(ハイキングではなく)乗り鉄となるリスクがある。
 途中で気づいて城跡見物を追加したが、田原の滝&夏狩湧水群谷村町周辺散策など、もう1~2か所加えてもいいかも。
 どれもお手軽でよく整備されているので、片道1時間くらいで行ける八王子くらいの距離にあれば、年に4~5回訪れるのだが...

●2024年12月24日(火)
都留市駅(8:25)→富士山展望台(8:50)
→蟻山(烽火台跡;9:05)→白木山(9:25)
→パノラマ展望台(9:35)→鍛冶屋坂・水道橋(9:45)
→天神山(10:00)→友愛の森(10:10)
→楽山公園への分岐(10:30)→楽山公園(10:50)
→楽山公園への分岐(11:00)→都留アルプス山(11:13)
→ミツマタ群生地(11:35)→楽山球場(11:45)
→鉄塔(尾崎山への分岐;12:18)→古城山(12:35)
→東桂駅(12:55)~電車~谷村町駅(13:07)
→勝山城跡(13:20~14:10)→都留市駅(14:30)



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