2025年2月25日火曜日

結城市まちなか 歴史的建造物ウォーク

 


JR宇都宮線小山で乗換えて水戸線の二駅目となる結城で下車すると、北口に建つ市民情報センター(図書館や観光物産センター・案内所などが入居する複合施設)の巨大な建物の方向に、奥へと延びていく道路(駅前蔵通り)を歩きます。

信用金庫の向かいにある商工会議所には「きらり輝き観光振興大賞受賞」の横断幕が張られており、観光の街として評価されている雰囲気を醸成していますが、結城商工会議所が2023年に受賞したこの賞は、音楽祭が評価されての受賞とのことです。

通りの名前が「蔵」だけあって、5分も歩かないうちに蔵の建物があらわれてきます。
磯田邸(左;未指定;明治中期築)

ただ、蔵の数が多すぎてすべてを維持するのはなんだか大変そう。

喫茶カヂノキ(未指定;明治13(1862)年築)

左;Coworking & Cafe yuinowa(未指定)

駅前通りが健田通りと交差する交差点からは国指定の文化財が立ち並ぶようになってきます。
つむぎみそという暖簾が懸かる醸造店は裏にある工場も蔵です。
秋葉糀味噌醸造見世蔵(国登録;大正13(1924)年築)

通りを渡った向こう側にも、
小西見世蔵(国登録;明治8(1857)年築)

その先の駅前通り沿いには二軒並んでます。

会津屋本店(未指定;明治41(1908)年築)

赤萩本店見世蔵(国登録;明治20(1887)年築)

こちらはその二軒の向かい側。
小倉商店店舗兼主屋(国登録;明治初期(明治4(1853)年頃)築)

次に交差する大町通りは、常陽銀行がある旧市街のメインストリートにあたる通りでしょうか。
右折してみます。
大和屋結城店(未指定;江戸末期築)

結真紬店舗(裏に見世蔵)(国登録;明治40(1907)年以前築)

奥;ふじの蔵(未指定;明治20(1887)年頃築)

これは常陽銀行の向かい
奥庄店舗兼主屋(国登録;昭和10(1935)年築)

銀行の裏手、県道小山結城線のセブンの前
鈴木新平商店見世蔵・文庫倉・座敷棟(国登録;明治16(1883)年築)

大町通りに戻って先へと進むと、
須関商店(未指定;明治26(1893)年頃築)

大町通りの突き当り、児童公園の手前には数棟が固まっています。

奥順店舗(国登録;大正初期築)

奥順見世蔵(国登録;明治19(1886)年上棟)

手前;キヌヤ薬舗(国登録;明治中期築)

3棟の向かい側にある蔵は、カフェとしての営業はやめてしまったみたいです。
奥順壱の蔵(国登録;明治期築)

突き当った不動堂のT字路を左折すると、蔵を改造した美術館。
結城蔵美術館

ワンブロック先の西ノ宮住吉通りとの交差点。
旧黒川米穀店店舗(ぱんやムムス)(国登録;明治45(1912)年築)

西之宮住吉通りを、大町通りを歩いたのと逆方向に行くと、先ほど奥順の建物が並んでいたちょうど裏手が「つむぎの館」という施設になっていました。

入場無料と書かれていたので、遠慮なく敷地に入らせていただきます。

つむぎの館は、結城紬の展示、体験、物販などの建物が軒を連ねる総合施設で、絹製品の企画・製造・販売を手掛ける奥順株式会社の本社でもあります。

中に足を踏み入れると、江戸時代の絹問屋に迷い込んだような感覚となり、思わず引き込まれてしまいました。
人の会社の中にこんなに入っていっても良いのかなと思いつつも、一般人立入禁止の表示が無いのをいいことに、敷地を縦断する形で大町通り近くのところまでおじゃまさせていただきました。

奥順土蔵(国登録;明治37(1904)年築)

奥順離れ(国登録;明治19(1886)年築)
国の文化財となっている社屋に、50年前のNHK朝のテレビ小説「鳩子の海」の表示が。
このドラマは、小学生の春休みと夏休みに母親が家で毎日見ていたのを、「専業主婦っていいなぁ」と思いながら一緒に見ていたことを記憶しています。
内容は子供にとって難しく、全く覚えていませんが、一度も手に取ったことがない結城紬という言葉を漠然と記憶しているのは、この番組によるものかもしれません。

西ノ宮住吉通りをさらに西へと行きます。
鈴木紡績見世蔵・主屋(国登録;明治39(1906)年築)



秋葉喬庸商店(未指定;明治末期築)
駅前蔵通り・県道結城停車場線との交差点の信号をちょっと右に行ってみます。

中澤邸(未指定;当初建築年代不詳)

中澤商店見世蔵及び主屋(国登録;明治末期築)

引き返して、

西之宮住吉通り交差点まで戻り、
甘味茶蔵真盛堂(旧福井薬局)(未登録;明治30(1897)年頃築)

さらに一本駅寄りの大町通り(常陽銀行がある通り)を毘沙門堂の方へ行くと、

すぐ先に結城酒造があり、ボロッボロの板塀に文化財銘板だけありました。

裏に回ると中に入れました。
結城酒造株式会社煉瓦煙突(国登録;明治36(1903)年築)
煉瓦煙突の他にも同社の安政蔵(安政6(1859)年)と新蔵(慶応年間(1865年頃))があるはずですが、どこへ行ってしまったのでしょうか?


主だったところは一通り行ったと思いますので、健田通りを通って駅へと戻ることにします。
武勇見世蔵(幕末築)・煙突(大正末期築)・脇蔵(明治後期築)・旧釜蔵(明治37(1904)年築) (全て国登録)

同仕込蔵(国登録;明治42(1909)年築)

武勇の向かい側
保坂家住宅主屋(大正期築)・土蔵(大正11(1922)年築) (国登録)


思い立ったらすぐ行ける。 その他の首都圏近郊ハイキングの記録はこちら

●本日の反省…お金を落とさなかった。
散々あちこち見学しておきながら何も買い物しませんでした。スミマセン。
絹製品とは無縁の生活を送っているのと、酒があまり飲めないということもあるが、せめてお菓子くらい買えばよかった...
と後悔するくらい、江戸の風情と明治の情緒を残した美しい街でした。
古い物件をただ朽ちるに任せて残しておくだけではなく、実際に住んだり事業を営んでいるものが多く、荒んだ感じがしない、生き生きとした営みが感じられてくるのが素晴らしい。

●2025年2月21日(金)
結城駅(10:55)→浦町(11:05~)
→蔵美術館(11:30)→中澤商店(11:50)
→武勇(12:00)→結城駅(12:15)




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