2024年10月14日月曜日

多摩丘陵ハイキング(菅生緑地~平瀬川~生田緑地)

 神奈川県川崎市は2024年に市制100周年を迎えた記念事業の1つとして、「みやまえみどりのお散歩発見」と称して同市宮前区の散歩コースを設定しました。

区内に6つの散歩コースを設定し、マップを配布。「かわさきTEKTEK」なるアプリまで作成していますが、この宮前区のお散歩コースは、2024年10月現在、Googleで「市制100周年記念事業」と入力しても表示されず、見つけ出すのが至難の業となっています。

ちなみに、紙(PDF)のコースマップはこちら↓

それでは試しに、6つのコースのうちNo.5と6を歩いてみることにします。

三連休の中日で大混雑する横浜市青葉区の東急田園都市線たまプラーザ駅を出て、正面の通りを渡った東急百貨店の一番古いビル(ノースプラザ)の中を突っ切り、3階裏側の出口を出ると、歩行者専用道がまっすぐ北へと延びています。

団地の中を抜ける立派な歩行者道路は、徐々に細くなり、美しが丘3丁目に達すると消滅してしまいますが、駅から離れるにつれて昭和の団地は立派な戸建て高級住宅へと変わってゆきます。

住宅街の向こうに小さな丘が見えてきて、住所が美しが丘から美しが丘「西」に変わった急坂を登って到着する稜線の裏側がコース⑤(平瀬川の四季を感じるお散歩)の起点となる菅生緑地となります。

ちなみに、宮前区のコース設定は、ゴールを川崎北部市場としていますが、今回は近くの菅生緑地(西地区)、別名「水沢の森」から変則逆進していきます。

というわけで駅から30分少々歩いてお散歩コースにたどり着きました。
高圧線鉄塔の下にある木道の階段を下り竹林を通り抜けると、小さな水の流れる園地が広がりました。

園地を流れる水を遡り丘を登り返すと、「源頭」の表示があり水が湧きだしています。

源頭のすぐ近くにある水が溢れる井戸はポンプでくみ上げているそうです。
水沢の森は、これから行く遊歩道に沿って流れる平瀬川の水源の1つで、緑地を出ると水流は一旦暗渠に入りますが、尻手黒川道路の北側で地上に現れて二子玉川付近まで流れていきます。

同じ菅生緑地の東地区(市民健康の森)は、水沢の森を下りて道路を5分ほど歩いたところにあります。

北部市場に隣接したこちらは、大きな芝生広場があり、家族連れで楽しめるところです。

幹線道路の尻手黒川道路を渡って、自動車学校の横を下りていくとでてくる小さな流れが平瀬川で、数十メートルくらいの間隔で親水公園(というほどではありませんが)の様に川に降りれる場所が作られています。

川は並走するバス道路・野川柿生線と何度かクロスしながら、徐々に大きな流れとなり、両岸のコンクリート法面もどんどん高くなっていきます。

源流の風情が無くなってきたところで、左手に生田緑地の丘が見えてきました。

コース5と6の起点は少し先の平4丁目公園バス停ですが、野川柿生線の初山信号からコース⑥(とんもり谷戸と生田緑地をのんびりお散歩)に移ることにします。

生田緑地の東縁を流れる、この小川を遡って行くと、300mほどで水生植物鑑賞池という湿地となり、四阿がある場所で川崎国際ゴルフ場に突き当たるので、右折して階段を登って行きます。

園路は一旦宅地を通り、舗装道路に突き当たるので左折するとすぐに左側に生田緑地の入口があります。

園路と階段を下ると、唐突に生田緑地の中央広場に降り立ちました。
普通はいつも賑わっている向ヶ丘遊園駅方面の東口からここに来るので、誰もいないじめじめした森からやってくるとなんだか違和感があります。
というわけで、コース⑥はこれでおしまいとなりますが、「とんもり谷戸」からまだ30分も経っておらず少し物足りないので、緑地内の日本民家園に行ってみます。

ビジターセンターがある東口近くで¥550を払い入園すると、たちまち江戸の宿場町にタイムスリップ。
主要な建屋だけでも24棟、うち国指定重要文化財が9棟(ほか国重要民俗文化財1、県重文10、市重文7)が並んでいます。
国指定物件のみ名称と移築元を青字で記載します。

園路にも道祖神、庚申塔、馬頭観音が置かれて時代感が演出されています。

宿場を抜けると合掌造りの村に入ります。
(手前)佐々木家住宅・享保16(1731)年・長野県南佐久郡佐久穂町畑

(右)江向家住宅・18世紀初期・富山県南砺市上平細島
五箇山と白川郷から移設された4棟の間を通るときは、本物の白川郷に居る気分になります。

いつも訪れる度に24棟のどれかが休むことなくメンテナンスされています。
作田家住宅・主屋:17世紀後期/土間:18世紀後期・千葉県山武郡九十九里町作田

メンテナンス中ではない建物の中は、場所の制限はあるものの基本的に入って見学することができます。

後半(敷地の概ね上半分)は関東地方の17世紀末から江戸後期の建物が並びます。
大田家住宅・主屋:17世紀後期/土間:18世紀後期・茨城県笠間市片庭

北村家住宅・貞享4(1687)年・神奈川県秦野市堀山下

築100~200年くらいの民家が斜面に段々に建つ様は、江戸時代の山里をリアルに歩いている感覚です。

工藤家住宅・宝暦(1751~63)頃・岩手県紫波郡紫波町舟久保

(左)伊藤家住宅・17世紀後期~18世紀初期・川崎市麻生区金程
近年は各県に数か所古い民家が保存・再現された地域が整備されてきていますが、白川郷や大内宿などの破格の知名度の場所を別とすれば、これだけまとまって往時の雰囲気がかんじられるところはなかなかないかもしれません。

敷地の一番高いところにある西門を目指して登って行き、志摩の漁村の歌舞伎舞台でタイムスリップはおしまいとなります。
船越の舞台(重民)・安政4(1857)年・三重県志摩市大王町船越

専修大学の裏手にある出口からは桝形山展望台が近いので、帰りに寄って行くことにします。

展望台からの風景。
左から東京南部~出発したたまプラーザの方向。

中央は武蔵小杉ですね。

こちらは六本木周辺(左)~品川方面(右)

都庁とスカイツリーも見えました。

足下は小田急線・津久井道沿いと向ヶ丘遊園の街、遠景は武蔵野方面

よみうりランドの観覧車って、2つもあったっけ?

ビジターセンターの前から駅へと向かいます。
日没がだいぶ早くなってきました。


思い立ったらすぐ行ける。 その他の首都圏近郊ハイキングの記録はこちら

●本日の反省…みやまえみどりのお散歩 だったのだが…
終わってみれば半分が生田緑地にある既存施設の内容となってしまいました。
(ちゃんとお散歩コースはほぼ通ったはずですが...)最初から生田だけでよかった?
そういえば、生田緑地って、宮前区だったっけ?

●2024年10月13日(日)
たまプラーザ駅(13:15)→水沢の森(13:50~14:10)
→菅生緑地東地区(14:15)→平瀬川(14:35)
→初瀬橋(休憩;15:55~15:20)
→初山交差点・生田緑地とんもり谷戸(15:25)
→おし沼前広場口(15:45)→中央広場(15:50)
→日本民家園(15:55~16:30)
→桝形山展望台(16:35~16:45)
→向ヶ丘遊園駅(17:00)


2024年10月8日火曜日

桐生市まちなか 歴史的建造物ウォーク

 お隣の町、足利の町見物が早く終わったので、同じく歴史の街?である桐生もついでに見物していくことにします。

とはいえ、自分も含めて神奈川県民の多くは桐生と聞いて競艇以外にピンとくるものがありません。
いったいどのようなところなのでしょうか。
※桐生駅周辺の市街地にある建築物を中心に見物します。青字で記載した建物名称に特に注釈がないものは全て国指定の有形文化財です。

ここに来る前に居た足利のまちなかウォークはこちら

栃木県の足利からJR両毛線に乗り、3駅16分で到着した隣町は群馬県です。

JR駅の北口を出て正面に200mほど歩くと、上毛電鉄の終点、西桐生駅があります。
上毛電気鉄道西桐生駅駅舎・プラットホーム上屋
昭和3(1928年)

駅の先の西幼稚園前の信号を左折し、水道山公園の標識に従って坂を登って行くと、宅地の道端に意味ありげな古い建造物。
桐生市水道局低区量水室
昭和7(1932)年

立入禁止の広場の前からは一層傾斜が急になる坂道を登って行くと、
桐生市水道局高区量水室
昭和7(1932)年

坂の上は公園の駐車場となっており、水道記念館と、中が草ぼうぼうのフェンスがありました。
水道山記念館(旧配水事務所)
昭和7(1932)年

桐生市水道局高区配水池
昭和7(1932)年
桐生はとりわけ古くから水道が敷かれたわけでもないのに、この水道山周辺以外にも渡良瀬川沿いの元宿も含めて多くの水道物件が文化財に指定されています。

坂を下って引き返し、幼稚園の交差点をまっすぐ行った先が新川橋通りと出会った交差点にも、現役を退いた水道関係の建物がありました。
右:桐生市立西公民館本館(旧水道事務所)
左の土蔵:桐生市立西公民館機械室(旧水道倉庫)
昭和7(1932)年

公民館の並び、ドンキの向かいにあるのは織物会館。
桐生織物会館旧館(桐生織物記念館)
昭和9(1934)年

一本東側の通りにもいくつか古い建物が残っていました。
旧松岡商店事務所
昭和10(1935)年

左の白い建物:旧松岡商店蔵
右の木造建築:寺内家住宅主屋
昭和10(1935)年

さらに東側にある本町通りへと向かうべく、東西を結ぶ車道がとても少ない街中のゲリラ道を行きます。

県道66号線の本町通りは、旧市街地の中心となる通りで、主要な文化財が建つ新町と呼ばれれる地域はまだ1kmほど北にあるので、もう少し周辺を徘徊してみることにします。
金善ビル
大正末期

本町5丁目交差点から広見通りを西へ2ブロック(100m)ほど行くと桐生倶楽部があります。
桐生倶楽部会館
大正8(1919)年

さらに2ブロック進み、東小学校前の交差点を左折して中通りを2ブロック行き、泉町通りを右折すると、文化財に指定された10棟のうちのいくつかで機織が体験できる施設がありました。
森秀織物工場(織物参考館"紫”)
大正13(1924)年頃
今回は外観だけ見てパスします。

付近には後藤織物工場の大規模な遺産群があるはずで探したのですが、塀の中に閉じ込めてあるためなのか発見できませんでした。

なので、桐生まちなか観光の場所である本町2丁目に向かいます。

まずは観光のスタート地点である有鄰館で味噌・塩・醤油・酒の蔵を見物。
旧矢野蔵群(有鄰館)
天保14(1843)~大正9(1920)年
市指定文化財

有鄰館の前の本町通りを天満宮がある北へと行くと、通りの両側にぱらぱらと古い建物が建っています。
旧書上商店
(指定なし)

郵便局の先にあるパトカーが出てきた路地を入ると、ちょうど通り沿いにある曽我家主屋の裏手一帯が曽我織物の跡地でした。
奥:眞尾家織物工場跡(まちなか交流館)(指定なし)
奥から2軒目:曽我家住宅主屋(明治後期)
旧曽我織物工場
大正11(1922)年

本町通り沿いの曽我家と隣の眞尾家を改造した「まちなか交流館」の間はイベント用の広場となっていました。
右手前煉瓦造:曽我家住宅新座敷(大正11(1922)年)
右手前2軒目:曽我家住宅土蔵(明治後期)
左手前:眞尾家土蔵(指定なし)
まちなか交流館(桐生市重伝建地区公開活用施設)は、古い腐りかけた明治時代の旧家を2年がかりでリフォームして、観光案内と会議室などに変えた施設です。
中に入ると、ヒマな平日だったためか職員の方が丁寧に案内してくださいました。

通りに面した店舗から奥に長く住宅が続き、屋内から直接土蔵に入れるこの地方独特の家屋を見ることができました。
また、上の画像に右側の建物のように、建物の北側のみが土やレンガで作られているのは、乾燥した冬季の火災延焼を防ぐ目的とのことでした。

建物のリフォームは、元の部材と手直しした部分の違いが分かるようにというコンセプトで、木材が丁寧につぎはぎされているのですが、腐食部を交換した後の新しい部材の方が多い箇所も目立ち、リフォーム前の惨状が推測できました。
…奥多摩や奥秩父の山中に放置された廃村の家屋が目に浮かび、木造建築の維持や文化財としての再生・活用の困難さを実感しました。

まちなか交流館の向かい側は平田家住宅数棟が建っています。(見えない裏側に主屋・土蔵もあります)
平田家住宅・旧店蔵
明治33(1900)年

その北隣の中村家は、明治27年~昭和12年築の6棟が文化財となっています。(見えるのは通り沿いの1棟です)
中村家住宅(中村弥市商店 店舗)

中村家の向かいの北川織物工場は4棟が文化財ですが、三角屋根の工場は表から見えない角度でした。
無鄰館(旧北川織物工場主屋)
大正5(1916)年頃

その並びの先は森家の建物群。
左:森合資会社事務所・奥:森家住宅石蔵(旧穀蔵)
大正3(1914)年
一番古い土蔵は改築中でした。
森合資会社店蔵(明治前期)

本町通りを歩いていると、正面に天満宮の鳥居が見えてくるので、境内に入ります。
末社機神神社本殿(附重要文化財)

機神神社の先にある門をくぐると、重要文化財の本殿がありました。

天満宮 本殿・幣殿・拝殿
寛政年間(18世紀末)~享和年間(19世紀初期)
国指定重要文化財

奥へと続く幣殿・拝殿外壁の彫物が素晴らしいです。
適切に改修すると、北関東では日光東照宮に次ぐ荘厳な神社建築が再生すると思われました。

本殿の裏にひっそりと立つ2塔の小社のうち、右側の物件は北関東で屈指の古い建物だそうです。
右:末社春日社本殿
17世紀初期
国指定重要文化財


天満宮の裏で県道66号(桐生田沼)線を渡ると、群馬大学桐生キャンパスがあります。
群馬大学工学部守衛所
大正5(1916)年

旧桐生高等染織学校正門
群馬大学工学部守衛所
大正5(1916)年

大学の周辺にも三角屋根がぽつぽつと残っています。というか、かつて織物工場地帯の中にあった染色学校が工業高校・高専となり大学に併合されて理工学部となった といったところでしょうか。

これはワインの貯蔵庫として使われている物件。
(指定なし)

こちらはアトリエとして使われている?
(指定なし)


おしゃれ?なパン屋さんになったものもありました。
右:旧株式会社金芳織物工場鋸屋根工場(ベーカリーカフェ・レンガ) 大正8(1919)年
左:旧株式会社金芳織物工場事務所 昭和初期

主なところは一通り見たかしら?
バスに乗って駅に戻りました。

おまけ。

線路(JR線)の南側、新川橋通り(ドンキの前の通り)沿いの巴町1丁目にも数件の物件がありました。
手前:旧堀家住宅 主屋(ショコラ・ノア) 昭和2年/平成20年改修
奥:蔵 昭和4年

旧堀祐織物工場(美容室アッシュ)
昭和(1935)10年頃

島田商店(全7棟)
手前: 旧石蔵 昭和12/昭和60年改修
その左:旧倉庫 昭和28年
右のシャッター:旧事務所 明治後期/昭和12・60年改造
右奥: 店舗  大正時代
どれも現役の施設としておしゃれに活躍されていますが、元の文化財の外壁を結構派手に取り去ってないか?

思い立ったらすぐ行ける。 その他の首都圏近郊ハイキングの記録はこちら

●本日の反省 …昼食難民となる。
お昼までまだ30分ほどある時刻に、西桐生駅前のお弁当屋さんにたくさんの人が集まっているのを見た。
行列とは言わないまでも、それに近い人数で、老若男女、町中の人が集まってきたかのような光景にちょっと違和感を覚えたものの、その時は人気店なのかなくらいの気持ちでいたが、あそこが最終補給店だったとは。
それから街中をあるくこと2時間半。最初に見つけた飲食を提供する営業店は帰りのバスに乗る直前に通ったベーカリーカフェ・レンガだった。
市内に100軒ほどあるといわれるうどん屋はいったいどこへ行ってしまったのだ?
名物のアイスまんじゅう「シロフジ」も、売っている店どころか、店そのものがないぞ...
駅前の方が店があるかなと思い駅へと戻るも、開いている飲食店(というか飲食店そのもの)が駅周辺にはなく、ドンキのフードコートが最寄りだった。
飲食に限らず生活必需品を供給する店がドンキ(とセブン)しかないように思えた。
電車の時間が近かったためか、駅周辺には結構な人数の学生が集まってきたが、彼ら/彼女らはいったいどこで必要なものを手に入れているのだろうか?

見物する場所よりも先に食べ物の情報を(できれば第3候補くらいまでは閉まっていることも織り込んで)調べ、食べる計画を立ててからその他のことを考えよう。

●2024年10月2日(水)
桐生駅(11:30)→西桐生駅(11:35)
→水道山記念館(11:45)→西公民館(12:00)
→金善ビル(12:20)→桐生倶楽部(12:30)
→織物参考館(12:45)→有鄰館(13:05)
→まちなか交流館(13:20~13:40)
→天満宮(13:50)
→群馬大学工学部同窓記念会館(14:00)
→ベーカリーカフェ・レンガ(14:10)
→本町1丁目バス停(14:14)


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