GW明け一週間ほどで鹿児島が梅雨入りしてしまった2025年の春は、5月だというのに一進一退の天候が続いています。
というわけで、天候の影響を受けない街中の散歩へ。
ただ、当日になってみると前橋の最高気温が28℃となる晴天・猛暑となったので、近所のウォーキングを追加しました。
■富岡製糸場
上毛電鉄の上州富岡駅の改札を出て、うら寂しい街中を正面右手方向にテキトーに歩いて行くと、15分ほどで世界遺産 富岡製糸場の入口に到着します。
入場券を販売している入口の二階建ては重要文化財に指定されています。
旧富岡製糸場 検査人館(国登録;1873(明治6)年)
そして、門の正面に見えている巨大な建物が国宝の東置繭所です。
東置繭所(国宝;1872(明治5)年)
中に入り、建物の規模と比較するとずいぶん狭いガイダンス施設を一通り見学して、順路案内に従い反対側から外に出ます。
裏側はボロッボロ。建物裏側の100メートルほど先にある、瓜二つの建物「西置繭所」までの空間に蒸気エンジンの復元品が置かれていました。
左側:蒸気釜所(国登録;1872(明治5)年)
あ、左手の建物は明治期の貴重なものみたいです。
ピカピカにリニューアルされた西置繭所に到着。
東置繭所(国宝;1872(明治5)年)
溜池代わりの鉄水槽の近くから中へと入ります。
鉄水溜(国登録;1874(明治7)年)
文化財を保護するためか、古い文化財から見学者の安全を守るためなのか、恐らくその両方が目的と思われる鉄骨躯体が中に建てられており、元の建物の天井や外壁との間はガラスで仕切られていました。
こんな感じで、見学者は左側のガラスケースの中に閉じ込められる形となっています。
歩ける距離は展示室2つとテラスの20mくらい。
鉄水槽が見下ろせ、その向こうにはこれから行く繰糸所の巨大な建物があります。
良く整備されてはいましたが、一方で見学者用に仕切られている限られたスペースにしか立ち入ることはできず、そのほとんどが本来の建築物を直接見ることができない造りになっていました。
広大な富岡製糸場の見学は一時間では足りないが、今回(公開箇所のほぼすべて、主な解説動画は一通り見るくらい)詳しく見学しても三時間はかからなかった。
妙義山の頭の部分(相馬岳?)もちょこっと見えます。
ミニ自然博物館なる小屋が立つ広い4峰は、旧宇芸神社跡と書いた杭があり、ここからも好展望。
そこから5分ほどで、石祠が立つ5峰。
すぐまた5分で到着する標高325m標点の打越の御嶽石碑のそばには6峰の表示。
さらに3分足らずで巻き径が分岐するすぐ上が7峰。
良く整備されてはいましたが、一方で見学者用に仕切られている限られたスペースにしか立ち入ることはできず、そのほとんどが本来の建築物を直接見ることができない造りになっていました。
これがいいのか悪いのか。
ただ、あまりやりすぎると、(解説資料をゆっくり見れて、かつ国宝の構造物そのものもちゃんと見れるという意味で)VRが選択されて現物が要らなくなっていくことになりかねない微妙なところです。
一旦入口の東置繭所に戻り、繰糸所へと向かいます。
一旦入口の東置繭所に戻り、繰糸所へと向かいます。
繰糸所に行く手前、チケット売り場の検査人館の並びにある女工館は、後の時代に食堂にも使われた大きな建物で、昔学校で習った女工哀史の類とはずいぶんイメージが違いますが、教官として採用された外人の女工の宿舎だったそうです。
女工館(国登録;1873(明治6)年)
置繭所と直角にレイアウトされた繰糸所に入ります。
中に入ると、江戸時代が終わって僅か4年後とは思えない巨大な空間が広がっていました。
繰糸所のさらに先、敷地の南東部にある首長館は、製糸場の創設に深くかかわったフランス人、ポール・ブリュナの宿舎として建てられ、その後は福利施設として使用されたものだそうです。
女工館(国登録;1873(明治6)年)
整然と並んでいる往時の機械も壮観です。
ただ、当然のことながら全て役目を終えた物品ですので、半分はメンテナンス中。
残る大部分はビニールシートを被ってこのままどうなって行くのだろうといった感じですね。
繰糸所のさらに先、敷地の南東部にある首長館は、製糸場の創設に深くかかわったフランス人、ポール・ブリュナの宿舎として建てられ、その後は福利施設として使用されたものだそうです。
ちなみに、ブリュナ氏の出身地がドローム県だそうです。(…それがどうしたって?)
首長館(国登録;1873(明治6)年)
敷地の外は、眼下を鏑川がゆったりと流れています。
首長館(国登録;1873(明治6)年)
豪邸ですが、回り込んで南側から見るとその破格の巨大さと用途(個人の住宅)がピンときません。
そのまた先(敷地南西部)には、ブリュナの家族と同じくらいの面積にいったい何人がと思うような宿舎群が並んでいますが、立入禁止なので、ここでおしまい。
門を出たすぐ前のうどん屋さんで”おっきりこみ”をいただいて、駅へと戻ります。
駅前の県立世界遺産センター「セカイト」。
富岡製糸場とはあまり関係ないところにまで建てて、県の期待が推し量られますが、繭倉庫を改築した文化財保存目的の商業施設です。
改修設計が、近年外壁木材の腐食が話題となっている隈研吾なのがちょっと気がかりですが...
そういえば、近くにある富岡市役所の外壁木材が確か6年で腐ったそうですが、設計は誰だっけ?
大丈夫か? 製糸場の改築は誰が設計している?
まあ、木材は一定以上の速度で必ず経時劣化するのは、さっき見てきた製糸場でも良く分かったので、メンテナンスとその財源が追いついて行くかの問題だとは思うが、さすがに6年で使えなくなるとどうなんだろう。
製糸場の見学者数は、世界遺産登録から10年たった2024年に年間37万人弱と、ピーク時の4分の1くらいで推移しており、施設の維持管理の財源確保など次世代への継承が課題となるレベルにまで落ち込んでいるとのことだ。
ちなみに、金閣は400万人超え、駅もなく夏の3ヶ月足らずしか人が立ち入らない富士山は単独で20万人余(遺産指定25か所の通年合計はその数十倍)とのことである。
現物を見て個人的に感じた数字の差の理由は、
①(過去はすごかったかもしれないが)既に不要となり使われていない/これからも使われないものと、今も必要とされているものの違い。
②ごく近隣にも同レベルの価値を持つものがあるかないか。
が大きいように感じた。
①を満たさない産業遺産全般が今後どのように維持されていくのか、それともできなくなるものが出てくるのか、②も持たないここは未来のベンチマークとなるのではないだろうか。
広大な富岡製糸場の見学は一時間では足りないが、今回(公開箇所のほぼすべて、主な解説動画は一通り見るくらい)詳しく見学しても三時間はかからなかった。
余った時間をどうするか、案内所で情報を仕入れてみたが、徒歩圏ではカフェ巡りくらいしか見当たらず、しかも平日の今日は営業店舗がとても限られていることが分かった。
そこで、数少ない徒歩圏?のキーワードで見つかった別のところに行ってみた。
■神成山九連峰
上州富岡駅から下仁田方面へ4駅目の神農原駅で下車し、ホームの立派かつアバウトな看板に従って神成山ハイキングコース(正式名称「富岡アルプス 神成山九連峰」)へと向かいます。
■神成山九連峰
上州富岡駅から下仁田方面へ4駅目の神農原駅で下車し、ホームの立派かつアバウトな看板に従って神成山ハイキングコース(正式名称「富岡アルプス 神成山九連峰」)へと向かいます。
駅から目指す山並み(アルプス)を見ると、画像左端の病院の建物と同じくらいの高さに見えます。
舗装道路を左上のガードレールの方へ登って行くのですが、道中は立派な道標が完備されています。
目の前の宮﨑公園の坂を登ると、それっぽい建物「しののめ堂」ではなく、その上に表示があるので登って行くと、
元に戻って登山口へ。
西中学校の前からトレイルになります。
「日本一きれいなハイキングコース」を自称するだけあって、とても良く整備されており、赤矢印の看板の他にも、ハイキングコースであることを示す道標がこまめに設定されています。
お、ちょっと行ってみましょうか。
「見晴」というほどではないな、と思いながら下ろうとしたところ、ズッコケて大尻餅をついてしまいました。
ちなみに、山並みの左側の突起は下仁田の鍬柄山で、その右側に高く見える大桁山共々富岡アルプスではありません。
おや? ここは旧茂木家だそうですが、
ありましたが、閉まっていました。
旧茂木家住宅(旧所在 群馬県富岡市神農原) (国登録;江戸中期)
仕方ないので目の前にある展望台に上って見下ろしてみます。
決して日本最古の民家ではなく、現存する『板葺屋根』の最も古いものとのことです。
元に戻って登山口へ。
見晴台直下の径にパチンコ玉の様なザレが敷き詰まっており、ものの見事に滑り落ちます。
まあ、普通ならザレを織り込んで歩くところですが、ハイキングコースの整備レベルが高いため油断していたのが大きいと思います。
すぐに場違いに広い平坦地の横を通って行きます。
すぐ先で小高い場所に出ると、そこには城跡の標識が立っていました。
一峰の矢印の方へと行くと、一峰の少し先に南側を見晴らせる物見台がありました。
正面に鏑川流域の盟主の様に見える稲含山
右手の鏑川の上流は西上州の山々が一望できました。
どこからでもわかるカシューナッツのような猫耳の鹿岳と左隣の四ッ又山。
その左の南牧川対岸は小沢岳方面か。
眼下を上毛電鉄の車両がのんびり走って行きます。
本丸に戻って、もう一つの物見台である龍王山へ向かいます。
なるほど、通って来た平地は人工的に造成された郭の跡だったのね。
今居る本丸の右下に書いてある物見台に行ってみます。
さすがに西毛病院よりははるかに高いですね。
右手の鏑川の上流は西上州の山々が一望できました。
本丸に戻って、もう一つの物見台である龍王山へ向かいます。
西側の小さな郭から一旦下って、
右側に腰郭の様な平地を見ながら登って行くと、
両側に竪堀みたいな溝があるところからまた登りとなり、右側の腰郭様の平地を行く巻き径を見下ろしながら登ります。
神成山東半分で一番高いだけあって、見事な展望が広がります。
龍王山の次の凸は、南側の展望はいまいちでしたが、北の松井田方面が唯一ここからだけ見えました。
登り切った地形図の321m三角点には、立派な石祠が立つ龍王山(2峰)がありました。
神成山東半分で一番高いだけあって、見事な展望が広がります。
標識に気付きませんでしたが、恐らくここが3峰。
ミニ自然博物館なる小屋が立つ広い4峰は、旧宇芸神社跡と書いた杭があり、ここからも好展望。
2峰迄に半分の一時間を費やしたので、この先どうなるのかと思っていたら、4峰以降は急ピッチで山頂が繰り出してきて、ここから更にペースが上がります。
7峰から3分後。
8峰を下ったすぐのところに...
下に見える景色はあまり変化しないように感じますが、西上州はぐっと近づいてきました。
カフェドロームから登り返すこと1分で、最後のピークとなる吾妻山。
下りは、手摺まででてきて急降下していきます。
ちょびっと見晴らしが効く「一段目」杭のすぐ下にある新堀神社からは舗装道路となりました。
親切な案内表示で、地図を見ることなく南蛇井駅へと行く(神農原へ戻る)ことができます。
振り返ってみる吾妻山は、低い標高からは想像できない立派な岩壁が続いていました。
親切な道標とは対照的な駅前のユルいマップ。
ドロームという屋根付き休憩ベンチでしたが、はて「ドローム」とは?
カフェドロームから登り返すこと1分で、最後のピークとなる吾妻山。
九連峰の最後にして神成山で最も高い場所です。あれ?打越の御嶽石碑の方が高かったか?
急降下といっても、ゴールの南蛇井の標高が220m。麓の神社までは70mほどの標高差です。
富岡製糸場に来たついでの駄賃としてはとてもよいところでした。
製糸場のついでに来る人は居ないと思うけど。あと、県外からここだけを目的に来る人もたぶんいないだろうな。
●2025年5月6日(金)
神農原駅(13:00)→宮﨑公園(13:15~13:20)
→神成山ハイキングコース入口(13:27)
→神成城址・1峰(13:45)→2峰(龍王山;14:00)
→4峰(旧宇芸神社跡;14:12)
→5峰(14:18)→6峰(14:21)→7峰(14:24)
→8峰(14:27)→山カフェドローム(14:29)
→9峰(吾妻山;14:30)→新堀神社(14:40)
→南蛇井駅(14:55)