2月下旬以来GW前後の陽気の日が続く2023年の春。
関東近県の山々の雪は急速に溶けていきます。
そんな中でも雪が豊富に残る豪雪の山を、3月の終わりに訪れてみることにしました。
平坦な越後平野の北東から突如屏風のように立ち上がる二王子岳は、山麓の新発田市ばかりでなく、新潟東港や羽越本線の車窓など、周辺のどこからでも、その穏やかであるがゆえに異彩を放つ大規模な山容を望むことができます。
初夏のころまで稜線に残る残雪が醸し出す異世界ぶりは、古くから信仰と修験道の山となっているのも何となく理解できます。
ここは新発田市南俣から「二王子岳」の道標に従って農道を登って来たところです。
雪解けとともに除雪され、倒木がキレイに片づけられた舗装道路はすっかり初夏の様相ですが、下の写真のカーブから先の植林内はまだ雪が残っています。
無雪期はクルマで参拝に来ることができる立派な神社です。
どうやら出だしから道をまちがえたみたいです。
標高290mのここから、先ずは残雪と雪解けによる泥が交差する植林の登山道を標高差200m少々・距離にして700mほど進みます。
標高400mちょっとのところから勾配が急になり、一合目の標識から尾根の登りとなると、雪は全く消え去ってしまいました。
戸惑いながらも登り続けていると、標高500mほどから登山道が沢沿いとなるところで雪が再登場してきて、標高730mにある一王子神社の避難小屋が近づくと、地面は完全に雪で覆われました。
一王子避難小屋からは、基本的に二王子岳へと続く稜線沿いを、雪の量が豊富で歩きやすい場所を選んで登っていきます。
標高830mのテラス状の地形からは、狭い沢状に入り、次いで雪面が少し段々となった尾根に戻ります。
徐々に樹木が少なくなってきて、背後の下界の展望が開けるようになってきます。
定高山(994m標点)直下のこの辺りが樹木と地形が込み入っており、一番滑走しにくいところです。
電柱状の杭が立つ定高山に立つと、一層視界が広がるようになります。
緩急が交互にやってくる登りをこなして標高1200mを越えると、樹林限界に達して視界が一気に広がりました。
ここから一旦少し下って、1202m標点の少し先の「油こぼし」と呼ばれる平坦地からは、急登一気で稜線に登って行くことになります。
地形図に記載されている三王子神社(雪に埋もれて見えません)付近の小さな凸を越えると、左手奥に赤くて大きな山頂避難小屋の建物が見えてきます。
左手に広がる山頂下の雪原を見ながら、
銀世界の下に広がる春の越後平野を振り返りながら、最後の登りをこなして稜線に出ると、陽光に光り輝く加治川源流の山々が目に飛び込んできました。
お隣の二本木山の稜線を右に見ながら登り、奥の院跡と思われる突起に立つと、目の前に山頂が見えました。
北(左)端の朳差岳から、鉾立山、谷を隔てて大石山。少し高くなって手前に白い尾根が伸びる地神山。門内岳の白い稜線を経てピラミダルな北股岳。その右奥に飯豊山。
大日岳(左)と二本木山(中央)。右奥の黒いのは蒜場山でしょうか。
雪が造形した美しい曲線をそそくさと滑り抜けていきます。
油こぼしの降り口だけは、さすがにスキーを外して歩いて登ります。
越後平野へと飛び立つような滑走は、やがてブッシュ交じりの丘を経て、一王子避難小屋下の残雪の谷へと続き、標高500mの雪が途切れるところで終了となりました。
あとは歩いて往路を戻ります。
神社前の広場にある水が豊富に流れる靴洗場で道具一式を洗い、参道を下ります。
往路で間違えた廃道との合流を見送ってまっすぐ進むと、小さな切通しから舗装道路に出ることができ、そのまま下って行くと、出発点に戻りました。
1230mの凸を越える頃には南側へと伸びる稜線が見渡せ、右手に五頭山塊が見下ろせるようになります。
飯豊連峰の姿を遮る山頂の丘を登って行きます。
説明不要の大展望です。
こちらは北の黒石山へと続く稜線。
そして正面は飯豊連峰。
どこでも滑れそうですが、よくよく見ていると途中でギャップが割って入るところがあり、通しで滑るには工夫が必要そうですね。
というわけで、素直に往路を戻ることにいたします。
平均斜度は緩く、所々に小さな登り返しがあるので、なるべくスピードを殺さずに平坦地を滑り抜け、勢いで小さな登り返しを越えて行きます。
それまで分岐ごとに親切に設置されていた二王子岳への表示は、何故か最後にここで消滅していました。