蛭が活動を休止する初冬に、長年の懸案だった房総半島の深部をハイキングしました。
房総半島南部の国道465号線、県道24号線(鴨川道路・千葉鴨川線)、県道178号(小田代勝浦)線に囲まれた丘陵地帯は、中央部を広大な東京大学大学院の演習林が占め、その両脇を二本の県道が縦断する以外は一般交通が遮断された秘境ともいえる地域で、自然が豊かだと言われているものの、とにかく交通の便が悪く、どこから出入りするのかが決め手となるような場所です。
2017年の2月に養老渓谷駅から梅ヶ瀬渓谷を経て石尊山まで歩いたことがありますが、当時はその先はどうなっているのだとうと思いつつも、あまりの不便さに手が付けられないまま六年近い歳月が流れました。
このまま考えていても仕方ないと思い、整備された歩道や林道を一気に歩き通してみることにしました。
元清澄山と清澄山ってちがうのかとか、大昔に遭難騒ぎがあった麻綿原高原ってどこにあるの?などといった長年の懸案が一気に解決となるか。
ここは県道24号線の「道の駅ふれあいパーク・きみつ」の隣にある笹川に架かる片倉ダムの対岸、「宮ノ下ピクニック園地」付近の路肩です。
道の駅にクルマを停めてスタートしたのですが、なんと、片倉ダムは午前9時前は立入禁止で渡れず、慌てて引き返しクルマで下流から迂回して対岸のここにやってきました。
南房総冬の朝の名物、霧の中からスタートです。
三石山観音寺を目指して、両側の森の中が動物でざわつく舗装された林道を登って行きます。
観音寺の門の少し先の駐車場とトイレ付近に展望台への登り口があるので、登るとあっという間に四阿がある整備された展望スペースに到着し、霧に覆われる久留里線沿線の展望が開けます。
反対のこちら側は、これから越えて行く丘陵です。
展望台からは見えず階段の途中から見えます。
ところどころに境界表示が設置されているためか、想像していた以上に歩きやすく整備されています。
東大演習林の反対の右側は大規模なソーラー発電所が広がっており、ソーラーパネルの中に下りていきそうなくらいのところを行くこともあります。
稀に倒木がありますが、越える踏み跡がしっかりついており、苦労することはありません。
鞍部にはフラットに土塁が築かれ、ほとんどの凸を横からトラバースして巻いて行き、とてもらくちんです。
ソーラーパネル以外の視界はほとんど広がらず、ごくまれに開けても展望よりも暗い谷の深さが印象的です。
途中二か所ほどソーラーパネルの展望が開ける見晴台があります。
演習林の中にある郷台畑方面は通行止めのゲートが閉まっています。
古い道標があらわれると、すぐ先は巨木の森となります。
が、その前に今まで尾根上の凸を巻いていた登山道が無くなり、尾根の凹凸の上に乗って行くことになります。
地蔵峠からは、森が一層原始の面持ちといってもいいくらいの深さとなります。
ここまで来れば関東ふれあいの道との分岐はもうすぐです。
細い尾根の上は、人があまり歩いていないためか、苔生した岩がツルツル滑って尻もちをつきそうです。
分岐からの径はぐっと整備状況が増して、木の階段や手摺が設置されています。
林道から登山道に入ると急登一気で展望の無い元清澄山。
凸を二つ三つ越えて、関東ふれあいの道に下りてきました。
倒れた道標の上にある中央の山から下ってきました。
元清澄山へは下って来た尾根の左脇を入って行きます。
登山道を数百メートルほど行くと林道終点に降り立ち、百メートルほど林道との共用になります。
この林道は本来片倉ダム方面へのエスケープルートとなりますが、通行できないとの表示がありました。
三石山から約二時間の意外と順調な到着です。
のんびり一服して、清澄山(妙見山・清澄寺)へと向かうべく、来た道を一旦引き返します。
先ほどやってきた三石山からの分岐を過ぎると登山道は一旦急降下し、その後は標高260mの高さを尾根上の凸を避けながらトラバースしていきます。
ただし、304m標点の先の2つの凸は巻き径が通行止めのため、尾根上を上下します。
ごくまれに右手の樹間から展望を見つつ、元清澄山から一時間少々で登山道は終わり、林道となります。
林道は舗装されたりされなかったりですが、乗用車でも通れるくらいに整備されており、現役で使用されていると思われます。
左下の標柱の脇からでてきました。
正面は演習林のゲートです。
実際狩猟の軽トラと2台すれ違いました。
右(南)から林道小倉松森線が合わさる先の登り坂の上には「池ノ沢番所跡」の標柱が立つ大木があります。
清澄寺入口の分岐を見下ろしながら県道178号線を橋で越え、林道のゲートを越えると、舗装道路を400m登って清澄寺のバス停に到着します。
せっかくなのでお寺を見物しましょう。
元清澄山と清澄寺の間で唯一置かれているベンチを過ぎると、徐々に深山の感じが薄らいできて清澄寺が近づいてきます。
バス停(とはいえやってくるのはハイエース)の広場からは海が望めます。
清澄寺はもともと、二時間半ほど前に居た元清澄山にあったそうですが、ここに引っ越してきた気持ちが何となくわかります。
清澄寺入口の仁王門は指呼の先です。
写真正面の祖師堂は古風な建築物ですが、昭和の建物で、右(参拝経路の正面)の大堂(摩尼殿;実質的な本殿)が17世紀の由緒ある建築物だそうです。
そして、大堂に向かって右にある「厄割り石」と書かれた周辺には大堂よりも多くの人が居ました。
なんでだろと思ったのですが、家に帰ってから調べてみると、大堂で「厄割り玉」という陶器の球が販売されており、それをぶつけて割っていたみたいです。
しまった。自分もやればよかった。
厄割り石の先にある中門をくぐると、大きな木が立っており、その先の宝物館と本院で境内は終わりとなります。
さて、千葉県第二位(鹿野山の白鳥峰も山と数える場合は第三位)の高峰「妙見山」(377m)がこのお寺にあるはずなのですが。
特に案内は表示されていないので、妙見堂なるものがある大堂の裏に行ってみることにします。
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