そろそろお昼になるかという時間に降り立ったJR八王子駅の北口のデッキから、地上にあるバスロータリーに下り、13番乗り場で「ひ」で始まる路線番号のバスに乗ると、浅川を渡ったところにある3つ目の停留所が八王子郵便局前です。
これから多摩川・秋川沿いの丘陵を武蔵五日市へと歩いて行きます。
このサイトは出発した八王子郵便局から、滝山丘陵を越えた東秋川橋付近の高月城までを記載し、そこから先、五日市までの後半とコースタイム・概念図はこちらに掲載します。
加住丘陵に立地する東京ドーム4~5個分の、丘陵と湧水の園内には、ターミナル駅の中心街から1km少々の立地とは思えない豊かな自然が残されています。
この公園のみで半日以上ゆっくり過ごせるところですが、今日は園内を突っ切るのみとし、北端の「ひよどり山」から先を目指します。
公園を出た先で舗装道路を下って行き、中央自動車道を越えて、その先のランプウェイを潜ると、国道16号線に出ます。
左入橋交差点を直進して16号を北へと向かうと、道が拝島橋へと下り始めたところに滝山城址の入口がでてくるので入ります。
入口の舗装道路はすぐに通行止めとなるので、右脇の階段を上がると、小峯ヶ原の台地状の尾根に平坦な道が続いて行きます。
道はそのまま都立滝山公園へと入り、中世の堀切を橋で渡ると滝山城跡となります。
道路の右側には刑部屋敷址や信濃屋敷址といった平坦な曲輪が続き、
左側は、対岸の大馬出との間が深い堀となっています。
間もなく二の丸手前の小さな馬出(軍勢を待機させておく平地)に到着。
右側にあるもう一つの馬出を経由して二の丸へと入ります。
二の丸の中央を縦断する道のT字路を左折すると、正面に千畳敷を望む角馬出に突き当たります。
敵の隙をついて、門からあっち側に攻撃する施設ですね。
上の撮影ポイントと、出撃していく子供の間には、二の丸を防衛する深い堀が横たわっています。
更に(図の赤点線のルートで)先の千畳敷に入ると、そこはアマチュア無線のおじさんに占領されていましたが、
南の三の丸方向を見ると、堀を渡るクランク状の細い道(土橋)が見下ろせました。
本丸への土橋(今はコンクリートの堤)を渡ると、右側の中の丸に引き込まれます。
中の丸にはボランティアガイドさんの待機施設があり、ガイドのおじさんが熱心に城跡の説明しています。
本丸へは、引橋という橋を渡っていきます。
深い堀を見下ろして本丸に入ると、一段上に霞神社がありました。
神社の裏建つ金毘羅宮からも拝島市街が望めます。
まだスタートしたばかりなのに、いつの間にか本題を外れて城跡見物に時間を費やしてしまいました。
梅雨入り直前の端境期で花はあまり咲いていませんが、萌芽更新という定期伐採による若返りが施された森は、本日訪れる他の緑地と比較して、緑がひときわ鮮やかです。
高速入口左脇のうどん屋の看板の細道から出てきました。
現在は高速道路の管理用として使用されているこの細道は、なんと日光脇往還という名前がついているそうです。
神奈川県民の自分はここからたびたび中央道に乗りますが、そのすぐ脇に八王子の中心部への道があるとは知りませんでした。
道路の右側には刑部屋敷址や信濃屋敷址といった平坦な曲輪が続き、
ここまでの道程は下の絵の水色の線に相当します。
(絵の右端が滝山公園入口付近です)
行程がイメージしやすいよう、「滝山城築城500年」サイトさんから城の絵図を部分的にボカシて切り取らせていただきました。
明瞭に見たい方はリンクの縄張図をご覧ください。
これから赤い線の経路で中央部を見物してみます。
ここは左側の千畳敷・三の丸方面から攻撃してくる敵を撃退する拠点で、横から見て人が立っているあたりに門があったと思われます。
上の撮影ポイントと、出撃していく子供の間には、二の丸を防衛する深い堀が横たわっています。
攻撃側が身を晒しながら横に移動する間に撃ち殺してしまう仕組みですね。
本丸への土橋(今はコンクリートの堤)を渡ると、右側の中の丸に引き込まれます。
↑右は虎口という箱状の空間を経て中の丸へ。
左はその中の丸と本丸を区切る深い堀の底へと続いています。
つかまると長くなりそうなのでこっそり建物の裏に回ると、多摩川の対岸に拝島の市街地が展望できました。
足下には中の丸を防衛する腰曲輪(外周を囲う土塁付き平坦地)が張り巡らされています。金毘羅宮からは、2段の腰曲輪を強引に突っ切る、恐らく近世のものと思われる階段を下って、堀底のハイキングコースから多摩川の方へとお城を脱出します。
まだスタートしたばかりなのに、いつの間にか本題を外れて城跡見物に時間を費やしてしまいました。
やばいやばい。
中央が滝山城の「山の神曲輪」。左に続くのが歩いてきた丘陵で、一番高いところが本丸ですね。
多摩川の南岸沿いに続いてきた首都の最終防衛ライン滝山丘陵は、秋川が多摩川に合流する付近で川方向にせり出してきます。
その突端の麓にある大きなお寺(圓通寺)の右側から、丘を向こう側に回り込んで、さらに上流へ。あきる野I.C.方向へと進んでいくことにします。
左手に見てきた滝山丘陵とはここでお別れ。
高月集落で都道166号線を渡り、ホテル高月城の看板を入って行きます。
ここを通ったのも何かの縁。
「高月城」は、既に廃業したラブホですが、そのすぐ先に「高月城跡」の入口がありました。
標高差50m弱を登って高月城跡に寄ってみることにします。
高月城は、後に滝山城主北条氏照が養子に入ることになる大石家が、多摩川合流点付近で蛇行する秋川にせり出した舌状の丘という地勢・地形共に重要な場所に築城した城ですが、いかんせん規模が小さく、次の代で滝山へと移転することになったとのことです。
高月城は、後に滝山城主北条氏照が養子に入ることになる大石家が、多摩川合流点付近で蛇行する秋川にせり出した舌状の丘という地勢・地形共に重要な場所に築城した城ですが、いかんせん規模が小さく、次の代で滝山へと移転することになったとのことです。
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